2008.04/10(Thu)
君と恋愛、海の色。9
#9
ジュリズの時には考えられなかったが、まれに『うまかったよ』と直接石富に声をかけてくれるお客もいて、小さな店だからこそ可能なそんなふれ合いが、石富にとっては温かく、励みになった。
そうしてウィンド・ベルは、商店街の小さな喫茶店にもかかわらず、土日祝祭日にはちょっとした行列ができるくらいの人気を得て、オープンから数年経ってもそれは衰えず、経営状態は極めて上々だった。
そしてプライベートでは、別居状態が3年ほど続いていた久美子と、正式に離婚した。彼氏ができたからちゃんと別れてほしい、と言ってきたので、石富は二つ返事でそれに応じた。別居中だった3年間、石富はたまに謝罪のメールを送っていたのだが、久美子は3年前の石富の我が儘を、離婚が決まってからようやく許してくれた。
「私も悪かったわ。意地になりすぎてとこもあったし。つってもあんたが悪いことに変わりはないんだから、調子に乗るんじゃないわよ。それとさ、こんなこと言うのおかしいかもしれないんだけど……あんたとは、友達って方がうまくいくような気がすんのよね。あんたのこと、確かに好きだったんだけど、今の彼氏と付き合いだして、なんかこう………ちょっと違うのよ。わかるかしら」
久美子の言いたいことは、その時の石富にははっきりと理解しきれなかった。
でも、好きという気持ちが無くなったわけではないのに、彼氏ができたと聞いても、離婚してくれと言われても、ショックというほどのダメージを受けていないことには、自分で少しおかしいとは思った。
そのうえ離婚後は、以前と変わらない友達付き合いがなんのわだかまりもなくできていて、むしろ恋人や夫婦だった頃より、仲はよくなっているほどだった。
だが、その一方で。
秋家と石富の関係は、どこかぎごちなく、微妙な状態が続いていた。とはいえ、特にピリピリした空気を出し合っているわけではないし、表面上は普通に仲良く見えているだろうと思う。
ただ石富は、高校生の時に感じていた嫌な不安を、再会からこっち、強く感じられて落ち着けない。
今思えば、あれは秋家が姿を消そうと決めていたがゆえの、動揺からくる態度だったのだろうが、それがずっと続いているということに、石富は不安を抑えることができない。
壁1枚隔てたような、どこか遠慮されている感覚。
秋家自身は表に出していないつもりなのかもしれないが、石富にはわかる。というか、わかってしまう。あの当時と、今の秋家は同じなのだ。だからまた、同じことを考えてるんじゃないかと、時々本当に怖くなる。
秋家は未だに逃げたことについて話をしてこないが、石富もまた、秋家に話せていないことがあるので、お互い様といえばそうなのかもしれなかった。結婚のことも離婚のことも、どうしても石富は話すことができず、秋家に何も説明していないままだ。
結婚に関しては、秋家からの電話に久美子が出たというのだから、久美子の対応いかんによっては知っているのかもしれないが、あえての説明はどうにも躊躇われた。
秋家は、石富がジュリズを辞めてきたことを、今もまだ気にしている。もし離婚したことだけ言ったとしても、秋家が離婚の原因をジュリズの退職に結びつける可能性も、充分に考えられる。
そしてそれを全く気にさせないようにするうまいごまかし方など、到底あるとは思えない。
ジュリズで副料理長をしていたことや、新店の料理長に決まっていたことなどを秋家が知ったら、間違いなく秋家は自分を責めるだろう。そんな嫌な思いはさせたくないし、だから離婚していることも言わない方が、お互いのためだと思った。
それにどう考えても、石富のしたことは少々でなく重い、だろう。石富には大したことじゃなくても、こういうのはする側とされた側、意識にかなりの温度差があるものだ。いくら秋家のためではなく自分のためにした、と言ったところで、秋家がそれを信じるとは思えない。
だからやはり、言わない方が賢明だと、石富は判断した。
だが、店に高校の同級生が偶然来たことで、離婚のことはあっさりバレてしまった。理由を言わないとまずいか、と焦ったが、秋家はそれ以上何も聞かず、ただ、こんど海にサーフィン見に行っていい?とだけ聞いてきた。
秋家が、そういうプライベートな誘いをしてくれたのは初めてで、石富はものすごく嬉しくなり、連れて行ってやるよ、と約束した。
この時から、不思議とギクシャクした感じはなくなり、秋家も以前より自然な接し方をしてくるようになった。夏には約束通り海にも連れて行き、かなり上達したサーフィンの腕前を披露すると、すごい、と褒められて、それがやたらと恥ずかしかった覚えがある。
店は順調だし、秋家とも再び仲良くできるようになって、石富はわりと現状に満足していた。もちろん、お互い隠していることがある以上、なんのわだかまりもなく、というわけにはいかなかったが、とりあえずは今のままで、一緒にいれればいいと、そう思っていた。
そんな、冬のある日のこと。
店に来た1人の男の存在が、石富をひどく打ちのめし、そして、頭も心もめちゃくちゃにかき乱してくれた。
今から2年と少し前の、年が明けてすぐのことだった。店の営業時間が終わり、いつものように閉店作業をしていると、店舗の方がなにやら騒がしくなり、石富は気になってカウンターまで出て行った。
「どうした?」
カウンターには、秋家とバイトのえつみ、そして知らない、スーツ姿の男がいた。
秋家は俯いていて、細い肩が小さくカタカタ震えている。白いうなじが力なく弱々しくて、ただ事じゃない、ということだけは理解できた。そしてそれが、このスーツの男のせいだということも。
石富が視線を上げ男を見ると、ものすごい目で睨まれていた。その挑戦的な目に、石富も応戦するように睨みつける。
目線の高さは同じくらい、顔もそこそこ男前。それが異様に、不愉快だった。
こんな、一見なんの接点も無さそうな男と、秋家は一体どういう関係なんだ?自分の知らない、こんなヤツと――そう思うと不快極まりなく、男を睨む目にさらに力がこもった。
「あんだよ、その目。ずいぶん挑戦的じゃん。あんた、もしかして……」
「…っ、松橋くん!」
男が何か言いかけた時、秋家が突然、弾かれたようにそれを遮った。店の外に男の腕を引いて連れて行き、しばらくして1人で戻ってくると、秋家は石富とえつみに、自分の性的嗜好をカミングアウトし、さらにあれは恋人であると打ち明けた。
「ごめんなさい……」
震えながら頭を下げる秋家に、石富は、言葉が出てこなかった。
親友がゲイだった。普通はその事実自体にショックを受けるものだろうが、なにかそれとは、少し違うような気がした。
ショックではあったのだ。間違いなく、ショックだった。
だが、裏切られたような気持ちだとか、今まで騙されていたのかとか、そんな気持ちは起こらなかったし、当然気持ち悪いなんて感情もなく、引いたりもしなかった。
でも、なにかわからないけれど、心臓が速く鳴っていて、落ち着かなかった。
秋家は隠していてごめん、と再び石富に頭を下げて謝った。その姿が、とても小さく見えて、打ち明けるのにどれほどの勇気を搾り出したんだろうと思うと、胸が痛くなった。肩に手を置き、謝ることじゃない、気にしなくていい、とできるだけ優しく言って、すぐに背中を向けて厨房に戻った。
ドキドキ速い心臓はなかなか落ち着いてくれず、帰る時には秋家の顔をちゃんと見ることができなかった。
久美子との離婚後、石富はウィンド・ベルの近くにアパートを借りて1人で住んでいたのだが、その1人の家に帰ってすぐ、石富はベッドにうつ伏せになり、いろいろと考えを巡らせた。
秋家は、ゲイだということをずっと悩んできただろう。そう簡単に人に話せる悩みじゃないし、いくら信用している相手でも、やはり躊躇はすると思う。ましてや10代の頃じゃ、余計に言えなかっただろう。
(だから何も言わずに、いなくなったのか……?)
石富に、何も話してくれないまま。
そんなに、自分は信用の無い人間なんだろうか。親友なのに、悩みを話してくれなかった。それが今、こんなにショックなんだろうか。
(……違うな。そんなんじゃ、ない……そんなことがショックなんじゃねーよ……)
だったら何が、ショックだったのか。
石富は、今あの2人は一緒にいるのだろうか、と想像した。秋家と、あのスーツの男と。
恋人だと、秋家は言った。恋人ということは、つまりそういう行為をする、ということだ。
抱き合ったり、キスしたり、セックス、したり――
「……っ……」
ゾクッと、体が震えた。
秋家があの男に抱かれて、女みたいに声を上げているところを想像したら、体中がカッと熱くなった。ドクドクと心臓が激しく鳴って、振り払おうとするのに頭の中の映像が消えてくれない。
(くそっ……!あの男……なおと、してるんだよな……なんだよ、なんなんだよ……!)
嫉妬している。これは明らかに、嫉妬心だった。
ショックだったのは、あの男とそういう関係にあるという事実で、秋家がゲイだからじゃない。
こんな激しい憎しみを他人に持つのは、生まれて初めてだった。でも。
(俺には嫉妬する権利なんかねーんだ……だって俺は、男のなおとはできないんだから……)
セックスは、女としかできない。どんなに秋家を好きでも、セックスはできないのだから、それは恋愛ではない。
恋愛では、ないんだ――
【More・・・】
予定通りにオープンしたウィンド・ベルは、思いのほか早くに軌道に乗ることができた。最初こそ秋家目当てのミーハー客が多かったものの、日を追って純粋に味を求めて来てくれるお客が増えていき、作る石富としては素直に嬉しかった。ジュリズの時には考えられなかったが、まれに『うまかったよ』と直接石富に声をかけてくれるお客もいて、小さな店だからこそ可能なそんなふれ合いが、石富にとっては温かく、励みになった。
そうしてウィンド・ベルは、商店街の小さな喫茶店にもかかわらず、土日祝祭日にはちょっとした行列ができるくらいの人気を得て、オープンから数年経ってもそれは衰えず、経営状態は極めて上々だった。
そしてプライベートでは、別居状態が3年ほど続いていた久美子と、正式に離婚した。彼氏ができたからちゃんと別れてほしい、と言ってきたので、石富は二つ返事でそれに応じた。別居中だった3年間、石富はたまに謝罪のメールを送っていたのだが、久美子は3年前の石富の我が儘を、離婚が決まってからようやく許してくれた。
「私も悪かったわ。意地になりすぎてとこもあったし。つってもあんたが悪いことに変わりはないんだから、調子に乗るんじゃないわよ。それとさ、こんなこと言うのおかしいかもしれないんだけど……あんたとは、友達って方がうまくいくような気がすんのよね。あんたのこと、確かに好きだったんだけど、今の彼氏と付き合いだして、なんかこう………ちょっと違うのよ。わかるかしら」
久美子の言いたいことは、その時の石富にははっきりと理解しきれなかった。
でも、好きという気持ちが無くなったわけではないのに、彼氏ができたと聞いても、離婚してくれと言われても、ショックというほどのダメージを受けていないことには、自分で少しおかしいとは思った。
そのうえ離婚後は、以前と変わらない友達付き合いがなんのわだかまりもなくできていて、むしろ恋人や夫婦だった頃より、仲はよくなっているほどだった。
だが、その一方で。
秋家と石富の関係は、どこかぎごちなく、微妙な状態が続いていた。とはいえ、特にピリピリした空気を出し合っているわけではないし、表面上は普通に仲良く見えているだろうと思う。
ただ石富は、高校生の時に感じていた嫌な不安を、再会からこっち、強く感じられて落ち着けない。
今思えば、あれは秋家が姿を消そうと決めていたがゆえの、動揺からくる態度だったのだろうが、それがずっと続いているということに、石富は不安を抑えることができない。
壁1枚隔てたような、どこか遠慮されている感覚。
秋家自身は表に出していないつもりなのかもしれないが、石富にはわかる。というか、わかってしまう。あの当時と、今の秋家は同じなのだ。だからまた、同じことを考えてるんじゃないかと、時々本当に怖くなる。
秋家は未だに逃げたことについて話をしてこないが、石富もまた、秋家に話せていないことがあるので、お互い様といえばそうなのかもしれなかった。結婚のことも離婚のことも、どうしても石富は話すことができず、秋家に何も説明していないままだ。
結婚に関しては、秋家からの電話に久美子が出たというのだから、久美子の対応いかんによっては知っているのかもしれないが、あえての説明はどうにも躊躇われた。
秋家は、石富がジュリズを辞めてきたことを、今もまだ気にしている。もし離婚したことだけ言ったとしても、秋家が離婚の原因をジュリズの退職に結びつける可能性も、充分に考えられる。
そしてそれを全く気にさせないようにするうまいごまかし方など、到底あるとは思えない。
ジュリズで副料理長をしていたことや、新店の料理長に決まっていたことなどを秋家が知ったら、間違いなく秋家は自分を責めるだろう。そんな嫌な思いはさせたくないし、だから離婚していることも言わない方が、お互いのためだと思った。
それにどう考えても、石富のしたことは少々でなく重い、だろう。石富には大したことじゃなくても、こういうのはする側とされた側、意識にかなりの温度差があるものだ。いくら秋家のためではなく自分のためにした、と言ったところで、秋家がそれを信じるとは思えない。
だからやはり、言わない方が賢明だと、石富は判断した。
だが、店に高校の同級生が偶然来たことで、離婚のことはあっさりバレてしまった。理由を言わないとまずいか、と焦ったが、秋家はそれ以上何も聞かず、ただ、こんど海にサーフィン見に行っていい?とだけ聞いてきた。
秋家が、そういうプライベートな誘いをしてくれたのは初めてで、石富はものすごく嬉しくなり、連れて行ってやるよ、と約束した。
この時から、不思議とギクシャクした感じはなくなり、秋家も以前より自然な接し方をしてくるようになった。夏には約束通り海にも連れて行き、かなり上達したサーフィンの腕前を披露すると、すごい、と褒められて、それがやたらと恥ずかしかった覚えがある。
店は順調だし、秋家とも再び仲良くできるようになって、石富はわりと現状に満足していた。もちろん、お互い隠していることがある以上、なんのわだかまりもなく、というわけにはいかなかったが、とりあえずは今のままで、一緒にいれればいいと、そう思っていた。
そんな、冬のある日のこと。
店に来た1人の男の存在が、石富をひどく打ちのめし、そして、頭も心もめちゃくちゃにかき乱してくれた。
今から2年と少し前の、年が明けてすぐのことだった。店の営業時間が終わり、いつものように閉店作業をしていると、店舗の方がなにやら騒がしくなり、石富は気になってカウンターまで出て行った。
「どうした?」
カウンターには、秋家とバイトのえつみ、そして知らない、スーツ姿の男がいた。
秋家は俯いていて、細い肩が小さくカタカタ震えている。白いうなじが力なく弱々しくて、ただ事じゃない、ということだけは理解できた。そしてそれが、このスーツの男のせいだということも。
石富が視線を上げ男を見ると、ものすごい目で睨まれていた。その挑戦的な目に、石富も応戦するように睨みつける。
目線の高さは同じくらい、顔もそこそこ男前。それが異様に、不愉快だった。
こんな、一見なんの接点も無さそうな男と、秋家は一体どういう関係なんだ?自分の知らない、こんなヤツと――そう思うと不快極まりなく、男を睨む目にさらに力がこもった。
「あんだよ、その目。ずいぶん挑戦的じゃん。あんた、もしかして……」
「…っ、松橋くん!」
男が何か言いかけた時、秋家が突然、弾かれたようにそれを遮った。店の外に男の腕を引いて連れて行き、しばらくして1人で戻ってくると、秋家は石富とえつみに、自分の性的嗜好をカミングアウトし、さらにあれは恋人であると打ち明けた。
「ごめんなさい……」
震えながら頭を下げる秋家に、石富は、言葉が出てこなかった。
親友がゲイだった。普通はその事実自体にショックを受けるものだろうが、なにかそれとは、少し違うような気がした。
ショックではあったのだ。間違いなく、ショックだった。
だが、裏切られたような気持ちだとか、今まで騙されていたのかとか、そんな気持ちは起こらなかったし、当然気持ち悪いなんて感情もなく、引いたりもしなかった。
でも、なにかわからないけれど、心臓が速く鳴っていて、落ち着かなかった。
秋家は隠していてごめん、と再び石富に頭を下げて謝った。その姿が、とても小さく見えて、打ち明けるのにどれほどの勇気を搾り出したんだろうと思うと、胸が痛くなった。肩に手を置き、謝ることじゃない、気にしなくていい、とできるだけ優しく言って、すぐに背中を向けて厨房に戻った。
ドキドキ速い心臓はなかなか落ち着いてくれず、帰る時には秋家の顔をちゃんと見ることができなかった。
久美子との離婚後、石富はウィンド・ベルの近くにアパートを借りて1人で住んでいたのだが、その1人の家に帰ってすぐ、石富はベッドにうつ伏せになり、いろいろと考えを巡らせた。
秋家は、ゲイだということをずっと悩んできただろう。そう簡単に人に話せる悩みじゃないし、いくら信用している相手でも、やはり躊躇はすると思う。ましてや10代の頃じゃ、余計に言えなかっただろう。
(だから何も言わずに、いなくなったのか……?)
石富に、何も話してくれないまま。
そんなに、自分は信用の無い人間なんだろうか。親友なのに、悩みを話してくれなかった。それが今、こんなにショックなんだろうか。
(……違うな。そんなんじゃ、ない……そんなことがショックなんじゃねーよ……)
だったら何が、ショックだったのか。
石富は、今あの2人は一緒にいるのだろうか、と想像した。秋家と、あのスーツの男と。
恋人だと、秋家は言った。恋人ということは、つまりそういう行為をする、ということだ。
抱き合ったり、キスしたり、セックス、したり――
「……っ……」
ゾクッと、体が震えた。
秋家があの男に抱かれて、女みたいに声を上げているところを想像したら、体中がカッと熱くなった。ドクドクと心臓が激しく鳴って、振り払おうとするのに頭の中の映像が消えてくれない。
(くそっ……!あの男……なおと、してるんだよな……なんだよ、なんなんだよ……!)
嫉妬している。これは明らかに、嫉妬心だった。
ショックだったのは、あの男とそういう関係にあるという事実で、秋家がゲイだからじゃない。
こんな激しい憎しみを他人に持つのは、生まれて初めてだった。でも。
(俺には嫉妬する権利なんかねーんだ……だって俺は、男のなおとはできないんだから……)
セックスは、女としかできない。どんなに秋家を好きでも、セックスはできないのだから、それは恋愛ではない。
恋愛では、ないんだ――
| BLOGTOP |





