2008.04/13(Sun)
君と恋愛、海の色。10
#10
秋家は、いつ自分のセクシャリティに気付いたのだろう。ずっと彼女がいなかったのは、そのせいだったんだろうか。だとすると、あの時も――
(首についてたの……相手、男だったんだな……)
高3の時、秋家の様子がおかしかった日の、首の赤い痕、殴られたみたいに腫れていた顔。あれはおそらく、男の恋人に受けた、暴力の痕だったのだ。
(なんで、そんな男と……)
いくら相手が男でも、恋人に暴力をふるうような最悪な男と、どうして付き合ったりするんだ。今の恋人だという、今日のあの男もそうだ。石富を睨む目は、少しやばいような気がした。
(なおのやつ、松橋くん、って言ってたな……くん付け、か……年下だろうな……)
大人びて見えたが、まだ20代だろう。
石富に向けた、挑むようなまっすぐで強い視線。松橋は、石富を浮気相手とでも思ったんだろうか。嫉妬心を前面に出し、石富を憎々しげに睨んできた松橋は、それほど秋家のことが好きということだろう。そして、付き合ってるんだから、秋家も松橋のことが好き、なんだろう。
(……俺じゃ、ねんだな……)
ふと、そんなことを思った。秋家の好きな相手が自分じゃないと、急に強く意識した。ずっと一緒にいたのに……いや、ずっと一緒だったからこそ、そういう意味で好きにはなってはもらえなかったのか。
いくら性愛の対象が同性でも、友達としか思えない男だっているだろう。石富は、そっち側だった、ということか。
(……ってなんだそりゃ……何考えてんだ、俺は……)
男の秋家と恋愛はできないというのに、何を望んでいるんだろう。仮に秋家が自分を好きだったとして、それに応えてやることが……セックスの相手をすることが、できるのか。
(なおだって男なんだ……脱いだら、普通に男なんだし……無理だろ?無理だよな……なのになんで、こんなに腹が立つんだ……!?)
自分じゃ相手をしてやれないのに、恋人の松橋には嫉妬している。
勝手すぎる、矛盾だらけの己の感情に、頭が追いつかない。このムカつく気持ちを、どうしたらいいのかわからない。
だがそもそも、秋家は石富のことを友達としか思ってないのに、こんなことを考えてたって意味なんかないんじゃないか。どっちみち、秋家とどうこうなるなんてことは、ありえないというのに――
ぐるぐるぐるぐる一晩中考え、明け方になって石富が出した結論は、無理してでも今まで通り接しよう、ということだった。
秋家のことは、これまで以上に意識してしまうかもしれない。でも、それを少しでも態度に出せば、秋家は絶対に『自分がゲイだから、気持ち悪いと思われている』と解釈するに違いない。当然そんな気は微塵もないが、気にしている秋家はそう判断する。そして、すごく傷つくだろう。
(それじゃあまりに、かわいそうすぎる……)
秋家を傷つけたいわけじゃない。
だから石富は、絶対に態度には出さないと決めた。今まで通り、秋家が仕事をやり難くならないように、ちゃんと友達として接しようと。
だがそうやって、普通に普通に、と意識し、心情を悟られまいと必要以上の接触を控えていたせいで、秋家の様子がおかしいことに、ぎりぎりまで気付いてやることができなかった。
気付けば元気がなく、日を追うごとに顔色も悪くなって、何か思いつめたような表情をしている。もしかして、あの恋人のせいなんじゃ――そう思うと気になって気になって、問いつめてみようか、と考えていた矢先、えつみが石富に、真剣な顔で話をしてきた。
「ねぇ、石富さん。店長、あの彼氏サンにストーカーされてるみたいなんだけど」
「……なんだと?」
「あんまり顔色悪いからさ、気になって聞いてみたんだ。そしたら、まだ付き合ってるって言うじゃん?私思わず怒っちゃったわよ。でね、どうもあの彼氏、しょっちゅう来るらしいわ」
えつみはそう言うと、人差し指を上に向けて、天井を指差した。上、2階、つまり秋家の家に来ている、ということだろう。
「招待されて……ってわけじゃなさそーだな」
「とーぜん。まぁ、店長もあんま詳しく言いたくないだろうから、そこまで突っ込まなかったんだけど。でもさ、別れたいって言っても聞いてくれないうえに、仕事終わんの外で待ってたり、家に押し掛けてくるってんだから、立派なストーカーでしょ?」
えつみは怒ったような顔で、石富の目を見た。この視線の意味、そして、秋家に聞いた話を、石富に聞かせた理由。
「……わかったよ」
石富がそう言うと、えつみは満足気に笑い、じゃあよろしく、と手を振ってカウンターに戻っていった。
(俺になんとかしろってことことだろ。まぁ、言われなくてもするけどな……)
石富はぎゅっと、拳を握りしめた。
秋家があの男と幸せなんだったら、自分には口出しする権利がない以上、それでいいと思っていた。だが、どうやらそうではないらしい。
(なおは、別れたいんだな……つーか、やっぱ俺には何も言わねーのかよ……相談しろとは言わねーけど、ちょっとくらい、頼ってくれてもいいのにな……)
悔しいというか、寂しいというか、複雑な心情だった。だが秋家が松橋と別れるのかと思うと、単純な喜悦らしきものがふつふつと湧いてきた。
別れさせてやろう――秋家のために、だが同時に、自分のため、でもあった。
当然、秋家を助けたいという気持ちが1番だけど、そんなきれいな理由だけでは決してない。秋家に恋人がいなくなれば、自分のこの身勝手な嫉妬心も消えてくれるかもしれない、苛立ちがなくなって、落ち着けるかもしれない、そういう、利己的な理由もあった。
とにかく、なんとしてでも別れさせたい。だが詳しい事情を確かめたくても、まさか秋家本人に聞くわけにもいかないし、となると、もう1人の当事者に聞くしかない、とこの時の石富は思った。
(直接あの野郎締め上げるか……つかどっちみち、話しなきゃいけねーわけだしな)
そして、早い方がいいと思った石富は、どうにか松橋だけ捕まえられないかと考えた。
今まで帰り際に一度も見かけたことがないということは、外で待っている時は店の人間に会わないよう様子を窺っていて、秋家が1人で家に上がる時に押し掛けているんじゃないかと思うのだ。だから、石富が1人の時は、姿を見せたりはしないだろう。
秋家に知られないよう松橋を捕まえるには、どうしたらいいか。
石富は思案したが、これが意外と難儀で、確実と思えるほどの良策は浮かばなかった。でも、とりあえず考えたことをやってみるしかない。
そこで石富は、その日の晩、閉店作業を素早く終わらせ、用事があるから先に帰る、と秋家に言い、カウンターにいたえつみに目くばせをした。意味は、できるだけ秋家を店内に引き止めておけ、だったが、勘のいいえつみは気付いてくれただろうか。
いつもの時間より10分ほど早く裏口から出た石富は、後ろ手にドアを閉め、顔を少し俯けて、目玉だけを動かして左右を窺った。
すると、視界の右側に、隣の建物の陰から、一瞬だけ人の頭の影が覗いたのが見えた。すぐに引っ込んだそれを、石富は見逃さなかった。
できるだけ足音をさせないよう、早足でそちらに近づくと、案の定、壁にもたれてタバコを吸っている松橋がいた。松橋は、最初こそ石富を見て驚いたような顔をしたが、逃げるでも慌てるでもなく、すぐに落ち着いた顔になると、ふーと紫煙を吐き出して石富を見た。
「……なんであんたが来るんだ」
「なんで?それはてめぇが1番よくわかってんじゃねーのか?……ちっとツラ貸せや」
石富が腹立ちを抑え冷静に言うと、松橋はしぶしぶといった感じで壁にもたせた体を起こし、タバコを道に捨てると、革靴でそれを踏みつけた。
「……そういうマナーの悪いヤツ、なおは嫌いなはずなんだけどな」
ぼそっと嫌味を言うと、松橋は舌打ちをして、石富をぎろりと睨みつけた。
【More・・・】
その晩石富は、一睡もできなかった。一晩中、秋家のことを考えていた。秋家は、いつ自分のセクシャリティに気付いたのだろう。ずっと彼女がいなかったのは、そのせいだったんだろうか。だとすると、あの時も――
(首についてたの……相手、男だったんだな……)
高3の時、秋家の様子がおかしかった日の、首の赤い痕、殴られたみたいに腫れていた顔。あれはおそらく、男の恋人に受けた、暴力の痕だったのだ。
(なんで、そんな男と……)
いくら相手が男でも、恋人に暴力をふるうような最悪な男と、どうして付き合ったりするんだ。今の恋人だという、今日のあの男もそうだ。石富を睨む目は、少しやばいような気がした。
(なおのやつ、松橋くん、って言ってたな……くん付け、か……年下だろうな……)
大人びて見えたが、まだ20代だろう。
石富に向けた、挑むようなまっすぐで強い視線。松橋は、石富を浮気相手とでも思ったんだろうか。嫉妬心を前面に出し、石富を憎々しげに睨んできた松橋は、それほど秋家のことが好きということだろう。そして、付き合ってるんだから、秋家も松橋のことが好き、なんだろう。
(……俺じゃ、ねんだな……)
ふと、そんなことを思った。秋家の好きな相手が自分じゃないと、急に強く意識した。ずっと一緒にいたのに……いや、ずっと一緒だったからこそ、そういう意味で好きにはなってはもらえなかったのか。
いくら性愛の対象が同性でも、友達としか思えない男だっているだろう。石富は、そっち側だった、ということか。
(……ってなんだそりゃ……何考えてんだ、俺は……)
男の秋家と恋愛はできないというのに、何を望んでいるんだろう。仮に秋家が自分を好きだったとして、それに応えてやることが……セックスの相手をすることが、できるのか。
(なおだって男なんだ……脱いだら、普通に男なんだし……無理だろ?無理だよな……なのになんで、こんなに腹が立つんだ……!?)
自分じゃ相手をしてやれないのに、恋人の松橋には嫉妬している。
勝手すぎる、矛盾だらけの己の感情に、頭が追いつかない。このムカつく気持ちを、どうしたらいいのかわからない。
だがそもそも、秋家は石富のことを友達としか思ってないのに、こんなことを考えてたって意味なんかないんじゃないか。どっちみち、秋家とどうこうなるなんてことは、ありえないというのに――
ぐるぐるぐるぐる一晩中考え、明け方になって石富が出した結論は、無理してでも今まで通り接しよう、ということだった。
秋家のことは、これまで以上に意識してしまうかもしれない。でも、それを少しでも態度に出せば、秋家は絶対に『自分がゲイだから、気持ち悪いと思われている』と解釈するに違いない。当然そんな気は微塵もないが、気にしている秋家はそう判断する。そして、すごく傷つくだろう。
(それじゃあまりに、かわいそうすぎる……)
秋家を傷つけたいわけじゃない。
だから石富は、絶対に態度には出さないと決めた。今まで通り、秋家が仕事をやり難くならないように、ちゃんと友達として接しようと。
だがそうやって、普通に普通に、と意識し、心情を悟られまいと必要以上の接触を控えていたせいで、秋家の様子がおかしいことに、ぎりぎりまで気付いてやることができなかった。
気付けば元気がなく、日を追うごとに顔色も悪くなって、何か思いつめたような表情をしている。もしかして、あの恋人のせいなんじゃ――そう思うと気になって気になって、問いつめてみようか、と考えていた矢先、えつみが石富に、真剣な顔で話をしてきた。
「ねぇ、石富さん。店長、あの彼氏サンにストーカーされてるみたいなんだけど」
「……なんだと?」
「あんまり顔色悪いからさ、気になって聞いてみたんだ。そしたら、まだ付き合ってるって言うじゃん?私思わず怒っちゃったわよ。でね、どうもあの彼氏、しょっちゅう来るらしいわ」
えつみはそう言うと、人差し指を上に向けて、天井を指差した。上、2階、つまり秋家の家に来ている、ということだろう。
「招待されて……ってわけじゃなさそーだな」
「とーぜん。まぁ、店長もあんま詳しく言いたくないだろうから、そこまで突っ込まなかったんだけど。でもさ、別れたいって言っても聞いてくれないうえに、仕事終わんの外で待ってたり、家に押し掛けてくるってんだから、立派なストーカーでしょ?」
えつみは怒ったような顔で、石富の目を見た。この視線の意味、そして、秋家に聞いた話を、石富に聞かせた理由。
「……わかったよ」
石富がそう言うと、えつみは満足気に笑い、じゃあよろしく、と手を振ってカウンターに戻っていった。
(俺になんとかしろってことことだろ。まぁ、言われなくてもするけどな……)
石富はぎゅっと、拳を握りしめた。
秋家があの男と幸せなんだったら、自分には口出しする権利がない以上、それでいいと思っていた。だが、どうやらそうではないらしい。
(なおは、別れたいんだな……つーか、やっぱ俺には何も言わねーのかよ……相談しろとは言わねーけど、ちょっとくらい、頼ってくれてもいいのにな……)
悔しいというか、寂しいというか、複雑な心情だった。だが秋家が松橋と別れるのかと思うと、単純な喜悦らしきものがふつふつと湧いてきた。
別れさせてやろう――秋家のために、だが同時に、自分のため、でもあった。
当然、秋家を助けたいという気持ちが1番だけど、そんなきれいな理由だけでは決してない。秋家に恋人がいなくなれば、自分のこの身勝手な嫉妬心も消えてくれるかもしれない、苛立ちがなくなって、落ち着けるかもしれない、そういう、利己的な理由もあった。
とにかく、なんとしてでも別れさせたい。だが詳しい事情を確かめたくても、まさか秋家本人に聞くわけにもいかないし、となると、もう1人の当事者に聞くしかない、とこの時の石富は思った。
(直接あの野郎締め上げるか……つかどっちみち、話しなきゃいけねーわけだしな)
そして、早い方がいいと思った石富は、どうにか松橋だけ捕まえられないかと考えた。
今まで帰り際に一度も見かけたことがないということは、外で待っている時は店の人間に会わないよう様子を窺っていて、秋家が1人で家に上がる時に押し掛けているんじゃないかと思うのだ。だから、石富が1人の時は、姿を見せたりはしないだろう。
秋家に知られないよう松橋を捕まえるには、どうしたらいいか。
石富は思案したが、これが意外と難儀で、確実と思えるほどの良策は浮かばなかった。でも、とりあえず考えたことをやってみるしかない。
そこで石富は、その日の晩、閉店作業を素早く終わらせ、用事があるから先に帰る、と秋家に言い、カウンターにいたえつみに目くばせをした。意味は、できるだけ秋家を店内に引き止めておけ、だったが、勘のいいえつみは気付いてくれただろうか。
いつもの時間より10分ほど早く裏口から出た石富は、後ろ手にドアを閉め、顔を少し俯けて、目玉だけを動かして左右を窺った。
すると、視界の右側に、隣の建物の陰から、一瞬だけ人の頭の影が覗いたのが見えた。すぐに引っ込んだそれを、石富は見逃さなかった。
できるだけ足音をさせないよう、早足でそちらに近づくと、案の定、壁にもたれてタバコを吸っている松橋がいた。松橋は、最初こそ石富を見て驚いたような顔をしたが、逃げるでも慌てるでもなく、すぐに落ち着いた顔になると、ふーと紫煙を吐き出して石富を見た。
「……なんであんたが来るんだ」
「なんで?それはてめぇが1番よくわかってんじゃねーのか?……ちっとツラ貸せや」
石富が腹立ちを抑え冷静に言うと、松橋はしぶしぶといった感じで壁にもたせた体を起こし、タバコを道に捨てると、革靴でそれを踏みつけた。
「……そういうマナーの悪いヤツ、なおは嫌いなはずなんだけどな」
ぼそっと嫌味を言うと、松橋は舌打ちをして、石富をぎろりと睨みつけた。
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