2007.12/21(Fri)
笑う策士と不機嫌なエンジェル(前編−2)
前編−2
きれいになったな、ヒカリすげぇな、ありがとうな、とキスしてくる志波に、『今日からお風呂入れますから先に入ってください!頼むから汚れた作業服で触らないで!』と向こうに行ってもらった。
そう、これも問題なのだ。建設関係などというから、ヒカリはてっきりゼネコン勤務だと思っていたのに、志波の勤務先はなんと造船所だった。造っているのはビルでもマンションでもホテルでもなく、船だった。しかもきれいな客船などではなく、主にタンカーなどの運搬船らしい。
ヒカリにはもう、わからない世界だった。
まぎらわしい、どこが建設関係なんですか、と言うと、誰が陸上の建物っつったよ、と屁理屈を言われた。なにが一級建築士だ!と勝手に想像した自分をアホだと思った。
造船所の塗装業者。つまり志波はペンキ屋さんなので、作業服は毎日シンナーくさい。全部の作業服にペンキがついていて、帰って来ると作業服も顔も汚れている。ひどい時には髪の毛にまでペンキがついていて、シャンプーでは取れないそれを、ヒカリは爪でカリカリして取ってあげている。
しかし、ヒカリが騙されたと思ったのはこれだけではない。性格、職業に加え、理想の破壊は夜のベッドの上でも起こった。あんなに優しかった志波のセックスが、同棲してからというもの、徐々に乱暴になってきている。といっても、なにも暴力を振るわれるとかそういうものではなくて、もっと腰あげろ、だの、脚開けよ、だの、ヒカリが今まで言われたことがないようなことを言ったり、妙に意地悪なことをしてきたりする。
ヒカリは、自分の思うように気持ちよく甘やかしてくれるセックスが好きなのだ。それなのに、お願いしないとイかせてくれなかったり、ヒカリに上に乗れと言ったり。それもとてもイヤだった。
それにいつも無精髭を生やしていて、髪の毛はボサボサでセットもしていなくて、ヒカリをナンパした時の面影は、いまやどこにもない。見た目はもちろん、ヒカリが抱いていたエリートのイメージも。
スーツをビシッと着て、どこのヤングエグゼクティブかと見紛うほどのカッコイイ男は、自分の部屋も片付けられないとんでもない無精の、造船所のペンキ屋さんだった。
別にヒカリは、職業に関しては何でもかまわないと思っている。何も志波が一生懸命やっている仕事に文句を言うつもりはない。ただ、志波本人に関しては、未だ釈然としないものをずっと抱えている。
その原因の1つが、掃除の際にやたらと出てきた、女の子アイテムだった。ヘアピンだのイヤリング、ピアスはもちろん、キャミソールやストッキングに生理用品、信じられないことにショーツやブラジャーまで出てきて、ヒカリは猛烈に怒って志波を責めた。捨てていいから、という志波に、当たり前です!と叫んで目の前でゴミ袋に入れてやった。
こんなトコで寝たくないと、ベッドのシーツも布団も捨てて、ベッドマットには布用の消臭スプレーをふりまくった。新しい布団セットを志波のお金で買ってやって、それで少しだけ溜飲が下がった。
それで、何が釈然としないかというと、志波はゲイバーでヒカリに声をかけてきたから、ゲイか、せめてバイだと思っていたのだが、ゴミの山から出てきたものは、全て女の人のものだった。何1つとして、志波以外の男のものは出てこなかったのだ。出てきてほしかったわけではないが、あれだけ女の人を連れ込んでいるのに、どうして男は連れ込んでないのか、それが不思議なのだ。
もしかして女の人と一緒に住んでいたのかと思って聞いたら、本当は誰かと一緒に生活するのは苦手で、ヒカリが初めてで特別なんだと言われた。それにほだされたわけではないが、あまり文句ばかり言うのもかわいそうなので、その辺でやめといた。
別にヒカリは、志波がノンケだろうとそれはかまわないと思う。ノンケだといつか女の人に取られるのではないか、という恐怖も多少あるけど、それはそれで諦めるしかないと思う。ただ、ならばなぜあの店にいたのか、それがよくわからないのだ。
「ふぅ……さて、洗濯してる間にご飯作ろうっと」
ここに来て2週間、毎日汚れた作業服と格闘し、脱いだ服はそのまま、食べたらそのまま、本も読んだらそのままの志波をその都度注意して、なんとか部屋の状態は掃除後のまま保っている。ベランダにあった大量のゴミは、分別もろくにできていないうえに市の指定袋にすら入れていなかったため、専門業者に頼んで引き取ってもらった。余計なお金がかかるんだから、ちゃんと分別して指定袋に入れてください、と言ったから、今はしぶしぶやっているようだ。
大学の帰りに買い物をして、帰ってから洗濯機を回す。その間にご飯を作って、洗濯物を干して、軽く部屋の掃除をする。そして、夕方のニュースを見ている時に、ヒカリの恋人は今日も作業服を汚して、シンナーのにおいをさせて帰ってくるのだ。
「おぅ、ヒカリ、帰ったぞ〜」
玄関から聞こえる声に、こたつでウトウトしかかっていたヒカリは目を覚ました。パチッと目を開け、ダッシュで玄関まで走っていくと、思い切り恋人に抱きつく……とか、そんなわけはない。
「ダメです!そこで全部脱いで、お風呂に入ってください!」
ストップ!と両手を広げ、入るなの意思表示をする。しかし志波は言う事を聞かず、でっかい安全靴をポイポイっと脱ぎ捨てると、逃げるヒカリをぎゅうっと抱き締めた。
「イヤー!くさい!離して、やだやだっ!」
ドロや錆みたいなのがたくさんついたつなぎ、ペンキのついた手、埃っぽいにおい、シンナーのにおい。ヒカリは、志波が帰ってから無理矢理ヒカリを抱き締めてくるこの瞬間が、たまらなく嫌いだった。イヤだと言うのに、志波はやめてくれなくて。
「いいじゃねーか。一緒に風呂入ろうぜ?」
「イヤです!早く入って来てください!もう、離して!」
イヤだ、と首を後ろにのけぞらせても、志波は嫌がらせのように無精髭をヒカリの頬にすりつけてくる。
「可愛いヒカリちゃん、お帰りのチューは?」
そう言って唇を寄せてくる志波に、ヒカリは本気でムカついて、そして。
「いい加減にしてください!」
めったに出さないような大きな声で怒鳴ってしまった。志波もちょっとびっくりして、ヒカリを見つめる。
「どうしていつも言う通りにしてくれないんですか!?すぐお風呂入ってくれれば、俺はなんにも文句言わないのに!」
この2週間我慢していたものが、一気に放出された。毎日毎日小言ばかりなんて、ヒカリだって言いたくないのだ。ただ、ちゃんとしてほしいだけなのに。
それなのに、志波はヒカリが怒って喚くのがおもしろいのか、ニヤニヤしながら騒ぐヒカリを見下ろしている。それがまた頭にきて、ヒカリはさらに声を荒げた。
「仕事から帰った格好のまま抱きつくのはやめてって言ったのに!そのまま部屋入ると床汚れるから、玄関で脱いでほしいっていうのも毎日言ってるのに!聞いてるんですか!?笑わないで!」
20cmは高い位置にある志波の顔を見上げて、ヒカリは腕を振り上げ捲し立てた。言っているうちに涙目になってきて、ごしごしと右手の甲で拭った。
「志波さんもしかして、家政婦代わりがほしかっただけなんじゃないですか!?だからすぐに一緒に住みたいとか言ったんでしょ!」
そしてずっと思っていたことを口にしたら、さっきまでヒカリの小言をニヤニヤ笑って聞いていた志波の表情が、さっと変化した。頭に巻いているタオルを取りながら、ヒカリをじっと見下ろす。
「………ヒカリ、それ本気で言ってんのか?」
急に真面目な顔で言われても、ヒカリのムカつきだって急には止まらない。
「本気です!」
勢いのままそう言い切ると、志波は急に曇った表情になり、その場にヒカリを残して風呂場に行ってしまった。残されたヒカリは、わけがわからなくてその場に立ち尽くす。
(なんなの……?)
おかしい。いつもはヒカリが何を言っても、ニヤついた顔で見てるか、ハイハイと生返事をしながら聞いてるかどちらかなのに。ヒカリの方が怒っていたはずなのに、なぜか志波が怒った形で終了してしまい、不本意だと思いつつも不安になった。
(だって、志波さんが悪いんだもん……!)
がんばってそう思うことにして、ヒカリは夕食の支度をすることにした。
この2週間で覚えた志波の晩ご飯スタイルは、先にビールを飲みながらつまみとしておかずだけ食べ、そしてビールが終わった後に、ご飯とお味噌汁を食べる。もちろんヒカリは酒を飲まないので、志波のビールの時間に全部一緒に食べているのだが。
志波は基本的に和食を好み、今日は志波の好きなぶり大根に挑戦してみた。ヒカリは決して料理が得意なわけではない。一人暮らしの時はたまに作っていたけど、ほとんど外食かお弁当だった。それに何より、親元で暮らしていたこの半年前までは、当然イギリス人の母親の手料理を食べていた。つまりヒカリには、ほとんどと言っていいくらい和食の基本知識がないのである。
一応母も日本食を作る時もあったけれど、ムズカシイ…とよく悩んでいた。今のヒカリも同様で、難しいから本を見ながらその通りに作るようにしている。そうすれば、ひどい失敗というのはあまりしない。
それで今日は、最近少しだけ和食の基礎もわかってきたので、かねてから志波が食べたいと言っていた、ぶり大根に挑戦してみたのだ。我ながらちょっとうまくできたかな、なんて思っていたら、こんなケンカしたみたいな状態でご飯とは。
温めていたら、志波が風呂から出てきた。ヒカリはぶりと大根を器に盛って、千切ったレタスや水菜の上に生ハムを乗せた簡単なサラダと一緒に、こたつへ持って行った。
ぶり大根に何か言ってくれるかな、と思ったけれど、ビールとグラスを渡しても、志波は何も言わなかった。怒った顔のまま、美味いとも不味いとも言わず、黙々と食べて、飲んだ。
ヒカリはショックで、一生懸命作ったのに、と落ち込んだ。でも、残さず全部食べてはくれた。
一緒にテレビを見ていても、志波はやっぱり何もしゃべらなくて、結局寝る時も背中合わせで眠った。
(なんでそんなに怒ってるの……?俺だって、ムカついてんだから……!)
ヒカリが怒っていたはずなのだ。ヒカリは悪くない。悪くない、はずなのだけど。
(どうしてこんなに不安なの……)
部屋を掃除してきれいになって、布団も全部変えてから、セックスしなかった夜はこれが初めてだった。
【More・・・】
翌日、翌々日と、ヒカリは大学を休んで掃除に励んだ。キッチン、トイレ、風呂と全てがきれいになった時には、もうヒカリはくたくただった。夕方になって、我ながらよくやったとリビングで横になっていたら、いつの間にか眠ってしまっていて、帰って来た志波に起こされた。きれいになったな、ヒカリすげぇな、ありがとうな、とキスしてくる志波に、『今日からお風呂入れますから先に入ってください!頼むから汚れた作業服で触らないで!』と向こうに行ってもらった。
そう、これも問題なのだ。建設関係などというから、ヒカリはてっきりゼネコン勤務だと思っていたのに、志波の勤務先はなんと造船所だった。造っているのはビルでもマンションでもホテルでもなく、船だった。しかもきれいな客船などではなく、主にタンカーなどの運搬船らしい。
ヒカリにはもう、わからない世界だった。
まぎらわしい、どこが建設関係なんですか、と言うと、誰が陸上の建物っつったよ、と屁理屈を言われた。なにが一級建築士だ!と勝手に想像した自分をアホだと思った。
造船所の塗装業者。つまり志波はペンキ屋さんなので、作業服は毎日シンナーくさい。全部の作業服にペンキがついていて、帰って来ると作業服も顔も汚れている。ひどい時には髪の毛にまでペンキがついていて、シャンプーでは取れないそれを、ヒカリは爪でカリカリして取ってあげている。
しかし、ヒカリが騙されたと思ったのはこれだけではない。性格、職業に加え、理想の破壊は夜のベッドの上でも起こった。あんなに優しかった志波のセックスが、同棲してからというもの、徐々に乱暴になってきている。といっても、なにも暴力を振るわれるとかそういうものではなくて、もっと腰あげろ、だの、脚開けよ、だの、ヒカリが今まで言われたことがないようなことを言ったり、妙に意地悪なことをしてきたりする。
ヒカリは、自分の思うように気持ちよく甘やかしてくれるセックスが好きなのだ。それなのに、お願いしないとイかせてくれなかったり、ヒカリに上に乗れと言ったり。それもとてもイヤだった。
それにいつも無精髭を生やしていて、髪の毛はボサボサでセットもしていなくて、ヒカリをナンパした時の面影は、いまやどこにもない。見た目はもちろん、ヒカリが抱いていたエリートのイメージも。
スーツをビシッと着て、どこのヤングエグゼクティブかと見紛うほどのカッコイイ男は、自分の部屋も片付けられないとんでもない無精の、造船所のペンキ屋さんだった。
別にヒカリは、職業に関しては何でもかまわないと思っている。何も志波が一生懸命やっている仕事に文句を言うつもりはない。ただ、志波本人に関しては、未だ釈然としないものをずっと抱えている。
その原因の1つが、掃除の際にやたらと出てきた、女の子アイテムだった。ヘアピンだのイヤリング、ピアスはもちろん、キャミソールやストッキングに生理用品、信じられないことにショーツやブラジャーまで出てきて、ヒカリは猛烈に怒って志波を責めた。捨てていいから、という志波に、当たり前です!と叫んで目の前でゴミ袋に入れてやった。
こんなトコで寝たくないと、ベッドのシーツも布団も捨てて、ベッドマットには布用の消臭スプレーをふりまくった。新しい布団セットを志波のお金で買ってやって、それで少しだけ溜飲が下がった。
それで、何が釈然としないかというと、志波はゲイバーでヒカリに声をかけてきたから、ゲイか、せめてバイだと思っていたのだが、ゴミの山から出てきたものは、全て女の人のものだった。何1つとして、志波以外の男のものは出てこなかったのだ。出てきてほしかったわけではないが、あれだけ女の人を連れ込んでいるのに、どうして男は連れ込んでないのか、それが不思議なのだ。
もしかして女の人と一緒に住んでいたのかと思って聞いたら、本当は誰かと一緒に生活するのは苦手で、ヒカリが初めてで特別なんだと言われた。それにほだされたわけではないが、あまり文句ばかり言うのもかわいそうなので、その辺でやめといた。
別にヒカリは、志波がノンケだろうとそれはかまわないと思う。ノンケだといつか女の人に取られるのではないか、という恐怖も多少あるけど、それはそれで諦めるしかないと思う。ただ、ならばなぜあの店にいたのか、それがよくわからないのだ。
「ふぅ……さて、洗濯してる間にご飯作ろうっと」
ここに来て2週間、毎日汚れた作業服と格闘し、脱いだ服はそのまま、食べたらそのまま、本も読んだらそのままの志波をその都度注意して、なんとか部屋の状態は掃除後のまま保っている。ベランダにあった大量のゴミは、分別もろくにできていないうえに市の指定袋にすら入れていなかったため、専門業者に頼んで引き取ってもらった。余計なお金がかかるんだから、ちゃんと分別して指定袋に入れてください、と言ったから、今はしぶしぶやっているようだ。
大学の帰りに買い物をして、帰ってから洗濯機を回す。その間にご飯を作って、洗濯物を干して、軽く部屋の掃除をする。そして、夕方のニュースを見ている時に、ヒカリの恋人は今日も作業服を汚して、シンナーのにおいをさせて帰ってくるのだ。
「おぅ、ヒカリ、帰ったぞ〜」
玄関から聞こえる声に、こたつでウトウトしかかっていたヒカリは目を覚ました。パチッと目を開け、ダッシュで玄関まで走っていくと、思い切り恋人に抱きつく……とか、そんなわけはない。
「ダメです!そこで全部脱いで、お風呂に入ってください!」
ストップ!と両手を広げ、入るなの意思表示をする。しかし志波は言う事を聞かず、でっかい安全靴をポイポイっと脱ぎ捨てると、逃げるヒカリをぎゅうっと抱き締めた。
「イヤー!くさい!離して、やだやだっ!」
ドロや錆みたいなのがたくさんついたつなぎ、ペンキのついた手、埃っぽいにおい、シンナーのにおい。ヒカリは、志波が帰ってから無理矢理ヒカリを抱き締めてくるこの瞬間が、たまらなく嫌いだった。イヤだと言うのに、志波はやめてくれなくて。
「いいじゃねーか。一緒に風呂入ろうぜ?」
「イヤです!早く入って来てください!もう、離して!」
イヤだ、と首を後ろにのけぞらせても、志波は嫌がらせのように無精髭をヒカリの頬にすりつけてくる。
「可愛いヒカリちゃん、お帰りのチューは?」
そう言って唇を寄せてくる志波に、ヒカリは本気でムカついて、そして。
「いい加減にしてください!」
めったに出さないような大きな声で怒鳴ってしまった。志波もちょっとびっくりして、ヒカリを見つめる。
「どうしていつも言う通りにしてくれないんですか!?すぐお風呂入ってくれれば、俺はなんにも文句言わないのに!」
この2週間我慢していたものが、一気に放出された。毎日毎日小言ばかりなんて、ヒカリだって言いたくないのだ。ただ、ちゃんとしてほしいだけなのに。
それなのに、志波はヒカリが怒って喚くのがおもしろいのか、ニヤニヤしながら騒ぐヒカリを見下ろしている。それがまた頭にきて、ヒカリはさらに声を荒げた。
「仕事から帰った格好のまま抱きつくのはやめてって言ったのに!そのまま部屋入ると床汚れるから、玄関で脱いでほしいっていうのも毎日言ってるのに!聞いてるんですか!?笑わないで!」
20cmは高い位置にある志波の顔を見上げて、ヒカリは腕を振り上げ捲し立てた。言っているうちに涙目になってきて、ごしごしと右手の甲で拭った。
「志波さんもしかして、家政婦代わりがほしかっただけなんじゃないですか!?だからすぐに一緒に住みたいとか言ったんでしょ!」
そしてずっと思っていたことを口にしたら、さっきまでヒカリの小言をニヤニヤ笑って聞いていた志波の表情が、さっと変化した。頭に巻いているタオルを取りながら、ヒカリをじっと見下ろす。
「………ヒカリ、それ本気で言ってんのか?」
急に真面目な顔で言われても、ヒカリのムカつきだって急には止まらない。
「本気です!」
勢いのままそう言い切ると、志波は急に曇った表情になり、その場にヒカリを残して風呂場に行ってしまった。残されたヒカリは、わけがわからなくてその場に立ち尽くす。
(なんなの……?)
おかしい。いつもはヒカリが何を言っても、ニヤついた顔で見てるか、ハイハイと生返事をしながら聞いてるかどちらかなのに。ヒカリの方が怒っていたはずなのに、なぜか志波が怒った形で終了してしまい、不本意だと思いつつも不安になった。
(だって、志波さんが悪いんだもん……!)
がんばってそう思うことにして、ヒカリは夕食の支度をすることにした。
この2週間で覚えた志波の晩ご飯スタイルは、先にビールを飲みながらつまみとしておかずだけ食べ、そしてビールが終わった後に、ご飯とお味噌汁を食べる。もちろんヒカリは酒を飲まないので、志波のビールの時間に全部一緒に食べているのだが。
志波は基本的に和食を好み、今日は志波の好きなぶり大根に挑戦してみた。ヒカリは決して料理が得意なわけではない。一人暮らしの時はたまに作っていたけど、ほとんど外食かお弁当だった。それに何より、親元で暮らしていたこの半年前までは、当然イギリス人の母親の手料理を食べていた。つまりヒカリには、ほとんどと言っていいくらい和食の基本知識がないのである。
一応母も日本食を作る時もあったけれど、ムズカシイ…とよく悩んでいた。今のヒカリも同様で、難しいから本を見ながらその通りに作るようにしている。そうすれば、ひどい失敗というのはあまりしない。
それで今日は、最近少しだけ和食の基礎もわかってきたので、かねてから志波が食べたいと言っていた、ぶり大根に挑戦してみたのだ。我ながらちょっとうまくできたかな、なんて思っていたら、こんなケンカしたみたいな状態でご飯とは。
温めていたら、志波が風呂から出てきた。ヒカリはぶりと大根を器に盛って、千切ったレタスや水菜の上に生ハムを乗せた簡単なサラダと一緒に、こたつへ持って行った。
ぶり大根に何か言ってくれるかな、と思ったけれど、ビールとグラスを渡しても、志波は何も言わなかった。怒った顔のまま、美味いとも不味いとも言わず、黙々と食べて、飲んだ。
ヒカリはショックで、一生懸命作ったのに、と落ち込んだ。でも、残さず全部食べてはくれた。
一緒にテレビを見ていても、志波はやっぱり何もしゃべらなくて、結局寝る時も背中合わせで眠った。
(なんでそんなに怒ってるの……?俺だって、ムカついてんだから……!)
ヒカリが怒っていたはずなのだ。ヒカリは悪くない。悪くない、はずなのだけど。
(どうしてこんなに不安なの……)
部屋を掃除してきれいになって、布団も全部変えてから、セックスしなかった夜はこれが初めてだった。
| BLOGTOP |





