2008.05/11(Sun)

君と恋愛、海の色。20

#20

【More・・・】

 翌日、日曜日。
 一矢は、朝一で美容院に行ってくると言って、はりきって出かけた。伸ばしっぱなしの金髪頭をカットして、色も黒くしてくるそうだ。だがそのお代はむろん、石富が貸すはめになったのだけれど。
 鼻歌交じりに歩いていく一矢の後ろ姿を見送って、石富と秋家は相変わらず言葉を交わさないまま、仕事に向かう。

 開店準備をしていると、今日は朝から出勤のえつみと木幡がやってきた。9時になって店を開け、待っていたお客を迎え入れる。日曜日は混む時間がまばらなので、常にお客の入った状態が続く。休む間もなく仕事をし、一段落ついたのは3時半を回ってからだった。
 軽く食事を取った石富は、裏口から外に出てタバコに火をつけた。携帯を取り出して見てみると、3時過ぎに一矢からメールが届いていた。

(そっか、面接だったんだ……どうなったんだろ)

 一矢が面接だったことを思い出して、煙を吐き出しながらメールフォルダを開く。

『合格!早速明日から来てくれってよ!いや、めでたい!おふくろにも電話して言っといたからな。それと、今日ゲンちゃんと飲みに行くんでよろしく。お祝いでおごってくれるってよ。門限までには帰るって、お母さん(なおちゃん)に言っといてくれ』

(誰がお母さんだよ……)

 秋家がお母さんなら、お父さんは自分になるのか。あんな息子いらねーな、と思いながら、しかし一矢の就職が決まったことにはホッとして、肩の力が抜けた。まさかこんなに早く決まるとは思いもしなかったから、これは本当に嬉しい誤算というやつだろう。今日はとりあえずこっちに帰ってくるみたいだが、明日からはおそらく、実家の方へ帰ってくれることと思う。

 だがそう考えたところで、いささか微妙な気分になった。それはやはり、秋家との間がぎくしゃくしているからで、この2日間、一矢がいたから間が持っていたと云ってもいいくらいだった。あれだけ邪魔者扱いしておきながら勝手な話だが、正直一矢の性格には、けっこう助けられた。

(でも、いつまでもこのままじゃ、つらいし……)

 今日は一矢の帰りが遅いそうだから、それまでにちゃんと謝って、秋家と仲直りをしよう。せっかく秋家の誕生日までに一矢が出て行ってくれることになったのだから、早く元通り、仲のいい恋人同士に戻るのだ。そうしたら、考えていたような素敵な誕生日を、迎えられるはずだ。

(よし!まずは仲直りだな)

 気合いを入れ、短くなったタバコを灰皿に押し付ける。閉店して、秋家と2人になった時のことを考えるとドキドキするが、こういう、『ケンカ→仲直り』という恋人なら当たり前の事柄も、恋愛しているからこそ味わえるものなのだから、この緊張感はそんなに悪くないなと思った。

 謝れば大丈夫、あんな顔して笑っていたけど、石富がちゃんと謝れば、秋家も聞いてくれて、許してくれるはず。そう、簡単に考えていたから、こういうのも悪くないなどと、この時の石富は思っていた。
 だが、石富が思う以上に、秋家の心は複雑だったのだ。


 夜の9時半を少し過ぎてから、2人は裏口から出て階段に向かった。いつもなら一矢が階段で待っているのだが、今頃はゲンちゃんのおごりでご機嫌に飲んでいるはずなので、当然ながら一矢はいない。秋家は一矢がいないことを不思議に思ったのか、一瞬ふっと小首を傾げたが、石富になにか聞くことはせず、そのまま階段を上って行った。

 秋家は部屋に入るとすぐ、ご飯作るね、と言って石富に背を向けた。

「なお」

 だが石富は秋家の腕を掴み、後ろから覆うように抱き締めた。ビクッと秋家の体が震え、強張っているのが伝わってくる。秋家も自分と同じように緊張していたのだと思うと、石富は少し嬉しかった。
 右手をお腹にまわし、左手で胸を撫でて、うなじや耳の後ろに鼻を寄せてチュッチュッとキスをする。秋家はくすぐったそうに首をすくめて、腹を触っている石富の手の上に、自分の手を重ねた。

「お兄さん、は……?」
「ゲンちゃん……って兄貴のダチなんだけど、飲み行くんだって……だから遅くなる。お祝いだってさ。就職、決まったから」
「そ、なんだ。よかった……あの、手、離して……?」

 その、秋家の言葉は無視して、石富は細いうなじを舌で舐めた後、耳の後ろに鼻を寄せて、すーっと空気を吸い込んだ。秋家のにおいが肺に広がり、ずんと下腹部が熱くなる。こんなに思いきり触れるのは4日ぶりで、石富はすぐに興奮して、トクトクと心音が早くなった。

 いつの間にか夢中になって、両手で秋家の体をまさぐりながら、首や頬に唇を押し付ける。石富は完全にその気で、当然このままことに及ぼうとしていたのだが、秋家のズボンのチャックを下ろし、中に手を入れようとした、その時。

「離してってば……!」

 秋家が急に声を張って、石富の手を掴んで止めた。石富は驚いて動きを止め、ゆっくりと、体に這わせていた手を離した。拒絶されたショックに黙っていると、秋家はこちらを向き、自分で自分の腕をぎゅっと掴んで、悲しいような、怒っているような目で、石富を見上げた。

「怒ってたんじゃ、ないの…っ……?なんで、すぐ、こんなことできるの……!?」
「な、お……?」

 目にうっすら涙を浮かべて、秋家は石富にうったえる。
 秋家の言う事が、よくわからなかった。怒っていたのは、石富ではなく秋家の方ではなかったのか。それに。

(なんですぐこんなことできるの、って、どういう意味だよ……)

 まるで秋家に触れた石富の行為が、愚行とでも言われているような気がして、ひどくつらかった。確かに、あれだけ謝ろうと思っていたのに、いきなり体に触れたのは性急すぎたかもしれない。でも、ここまで拒絶されると、ただ、ショックだ。

「なんで、そんなに拒むんだ……?あん時のことは、悪かったって思ってるよ。なぁ、なお……」

 仲直りしたい。秋家に触れたい。そしてできることなら、ずっと腕の中に閉じ込めておきたい――それなのに、伸ばした石富の手を避けるように、秋家は後ろに一歩下がり、石富と距離を取った。

「……っ………」

 それがあまりにショックで、グッサリと槍でも突き刺さったかのように、心臓が痛くなった。
 触れてくれたその手を一度は振り払っておいて、今更自分から手を伸ばすことは、調子が良すぎるのだろうか。

「剣二はさ……」
「え………?」

 秋家はこちらを見ないまま、ぼそりと呟く。石富はどきりとして、伏し目がちな目をじっと見つめた。長い睫毛が微かに揺れていて、秋家が緊張していることを伝えてくる。

「剣二は……いつも、したがるよね……」
「な、に……?」
「疲れてるって言っても、やめてくんない、し……もう、これ以上はつらいって言っても、離してくれないし……」
「な、なお……なに言って……」

 秋家が口にする言葉が、信じられなかった。それは、明らかに石富とのセックスを言っていて、そしてそこには、遠まわしにではあるが非難めいた響きが混じっている。
 呼吸が苦しくなりそうなくらい心音が激しくなり、なにかわからないけれど、危機感のようなものがふつふつと石富の中に湧き上がる。

「いや、なのか……?なおは、俺が、いやなのか……?」
「違う……!いやなんて、そんなわけない……!でも、それだけかなって、思っちゃうんだ……!お兄さんが来て、いつもみたいにできなくなったら、急に、冷たくなって……俺が、したいって言わなかったら、剣二、怒ったじゃないか……怒ってたのに、どうして今、お兄さんがいないからって、すぐにこういうこと、できるの……?」

 秋家の美しい形の目には涙が溜まっていて、それは瞬きと同時に、頬に流れ落ちた。

 全身から血の気が引き、足元が崩れていくような感覚を覚える。
 まさか秋家に、こんな風に思われていたなんて――

(気持ちは、伝わっていないのか……?)

 好きだから欲しい、好きだから抱く。それなのに気持ちは何一つ、伝わっていなかった。

 ギュッと拳を握りしめて、石富は立ち尽くす。腹の中が落ち着かず、ごわごわと、なにか良くない感情が少しずつ迫り上がってくる。
 これは、危険だ。自分でもわかったけれど、止めることなどできなかった。

 まるで感情が無いような、無機質な目をしている自分にも気付かず、石富は秋家の細い手首を、がしッと思いきり掴んだ。

「い、たっ……」

 そして秋家が自分に向ける、怯えた目。
 涙に濡れたその黒い瞳には、ひどく無表情な石富の顔が、映っていた。

テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

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