2008.06/16(Mon)
君と恋愛、海の色。31
#31
2人の墓の前で、自分達は結婚式をした。ただ、お互いを一生愛する、と言葉で誓っただけのものだったが、石富と秋家にとってそれは、小さくとも本物の結婚式だった。
神父も招待客もいない、正装すらしていない、2人だけの青空結婚式。だが、神父でもあり招待客でもあった西澤と次郎が、きちんと見届けてくれて、祝福もしてくれた。だからそれで、自分達には充分だった。
とはいえ、最初から結婚式をするつもりで行ったわけではなかったから、正直、石富には心残りがあった。それが、指輪なのである。
もしあの場で、誓いのキスと共に指輪の交換ができていれば、どんなに素晴らしかっただろう――そう思った石富は、秋家の誕生日に指輪を贈ろうと決めた。もちろん、ペアリングをだ。
秋家が寝ている間にこっそり指のサイズを測り、休みの日に1人の時間を作って、宝石店に行った。相手が男だとは言えなかったが、秋家の指のサイズは女性の平均を若干上回る程度ならしく、店に在庫もあり、ちゃんとペアで買うことができた。
それと石富は、指輪と一緒にチェーンだけのネックレスも購入した。飲食店なので、衛星管理上、仕事中に指輪はつけられない。それにバイトの子達にペアリングだと気付かれるわけにもいかないので、チェーンに通して首に下げておこうと思った。
リング、チェーン共にプラチナ製で、総額23万円程。これまでそんなにお金を使うことがなく、給料は自然に貯金に回っていたので、これだけ思いきった買い物ができた。リングは重量感もあり、細かくキレイなデザインで、小さいけれど秋家の誕生石のダイヤモンドも入っている。シンプルなものの方がいいかとも思ったが、あえて派手目な、値段の張るものを選んだ。
そんな高い指輪だが、それでも家に保管しておいて秋家に見つかるといけないので、無人のアパートに隠しておいた、というわけだ。
(泥棒とか入ってなくて、ホントよかった……)
料理をテーブルに並べながら、石富は改めて思った。いくら鍵をしていても、さすがに無人のところに置きっぱなしなのは心配だったので、クローゼットを開けた時は本当にホッとした。そして今指輪は、玄関のシューズボックスの上の、サボテンの陰に隠れている。
「よし、できた」
テーブルの上に手料理を並べ終え、石富は腰に手を当てて満足気にそれらを眺めた。
家に帰ってきてから、石富はすぐにキッチンに向かい、ディナーの用意を始めた。手伝おうとする秋家をリビングに追いやって、テレビでも見てろ、とソファに座らせてから、約1時間半。豪華というほどでもないが、ディナーの完成だ。
「なお、できたからおいで」
「うんっ」
待ちわびていたのか、秋家はソファからぴょんと飛び降りて、キッチンのテーブルについた。
「うわぁ、すごい。お店みたいだ」
「大したことねーよ。そんな豪華でもないし」
ラディッシュとハムのサラダに、グリルチキンのレモンソースがけ、サツマイモの入ったリゾットに、手作りのピクルス。スープは、秋家の好きなパンプキンスープだ。
石富は、氷で冷やしておいたシャンパンを取り出し、水分を拭き取ってからテーブルに置いた。
よく冷えたそれをフルートグラスに注ぐと、淡い黄緑色の液体の中を、細かな泡が踊るように昇っていく。秋家はそれを、キレイだと言ってじっと眺めた。
「じゃ、乾杯しよう」
「うん」
石富がグラスを少し上にかかげると、秋家も照れくさそうにグラスを持ち上げ、はにかんだ笑顔を見せた。
「なお、誕生日おめでとう」
「ありがとう。もうそんな、嬉しいって年じゃないけどね」
照れを隠すようにそう言ってから、でも嬉しい、と薄く頬を染めて微笑んだ。グラスを合わせて乾杯した後、秋家はまず、パンプキンスープを口に運ぶ。
「んーおいしいっ。サラダも、これドレッシング作ったの?さっぱりしてておいしい」
「そっか、よかった。お前の好物ばっかだからな」
そこでふと、石富の頭を何かがよぎった。お前の好物、と自分で言った言葉に、あることを急に思い出した。あれは一矢が来た、翌日のことだったか。晩ご飯を3人で食べている時に発覚した、秋家の好きなもの。一矢も大好きで、だが石富は見るのもイヤなくらい、大嫌いなもの。
「なぁ、なお。そういえばさ、お前……納豆、好きだったのか?」
「…っ……え、えぇ?」
秋家は食べていたサラダのハムを喉につめそうになって、シャンパンでそれを流し込んだ。石富はごめん、と謝ってから、急に思い出して気になった、と説明した。
「……ごめん、好きなんだ。でも剣二嫌いでしょ?だから一緒にいるようになって、食べないようにしてたんだ」
「え、俺納豆嫌いだって、お前に言ったことあったか?」
「うーんと、たぶん直接聞いたことはないんだけど……中1ん時にさ、林間学校行ったでしょ?あの時朝ご飯で、納豆が出たんだよね。そしたらさ、剣二全然手つけないで、隣の大和(やまと)くんが食べてるの、すごく不愉快そうな顔して見てたんだ。覚えてる?」
「あー……うん、なんとなく……」
大和は、中1の時に同じクラスで仲良くしていた同級生だ。林間学校の時同じ班だったから、ご飯も並んで食べた記憶がある。秋家は確か、向かいの席に座っていたと思ったが……それを見られていたということだろうか。
「それ見て、嫌いなんだなって思ったんだよね」
「マジかよ。うわ、俺かっこわる……」
子供の頃のこととはいえ、こういうのはちょっと恥ずかしい。自分が知らない間にバレていて、それで秋家は気を使って、食べないようにしてくれていたのだ。好きな食べ物を石富のために遠慮させていたなんて、情けなくて心苦しい。
「それで好きなのに食べなかったんだな……気使わせちまって悪かったよ。遠慮しないで食べていんだぜ?本当に俺、気にしねーよ?」
「……大丈夫。食べなくて平気だから」
「いや、食べていーって」
それから、食べろ、いや食べない、と押問答を繰り返したのだが、なぜそんなに頑なに食べないと言い張るんだと問いただしたら、秋家は照れながら、ビックリするようなことを言った。
「だ、だって、剣二の嫌いなもの食べて、その……俺に、キス、とか、してくれなくなったら、いやだし……」
「えぇっ?」
驚いた石富は、間の抜けたような声を出した。キスって、まさかそんな理由で食べないと言い張っていたとは、予想もしなくてビックリした。だが、これはいつぞや、自分が思ったことと同じではないかと思い出す。
秋家がタバコを嫌いだから、そのうちキスするのを嫌がられるかもしれない。だからいい加減禁煙するか、と数日前に考えた。秋家の気持ちも、これと同じだ。相手が嫌いなものを口にして、口に触れてくれなくなったらどうしよう、とそれが心配でたまらない。
(同じこと考えてたんだな)
なにやらおかしくなって、石富はくくっと喉奥で笑った。
「ごめん、おかしいよね……」
「いや、俺も同じこと思ってたから、それがおかしいいんだ」
「同じこと?」
「ああ。お前、タバコ嫌いだろ?だから俺もな、そろそろマジで禁煙しねーと、お前がキスしてくれなくなるんじゃねーかと思って、本気で禁煙考えてんだ。な、同じだろ?」
「同じ、なのかな……でも別に俺、タバコくらい平気だよ?そんなんでキスしないわけないよ。ああ、でも、健康とか考えたら、そりゃ禁煙はした方がいいけど……でも、剣二なら平気なんだから、気にしないでいいのに」
「そっか、ありがとな。でも俺も、それは同じなんだぞ?別に納豆食っても、お前なら平気なんだよ。むしろ健康にはいいんだから、どんどん食え」
そう言って笑うと、秋家は面食らったような顔をしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと。じゃあ、たまに食べるよ」
「ああ」
それから、色々話しながら食事を終え、片付けは2人でやることにした。石富が洗って秋家がすすいで、食器乾燥機に入れる。その作業すら楽しくて、浮かれているなぁ、としみじみ思う。
全て洗い終え、タオルで手を拭いてから、2人はリビングのソファに座った。そのまましばらくテレビでお笑い番組を見て、それが終わったと同時に、石富は秋家に言った。
「……なお、ちょっと、仏間に行っといてくれないか?」
「え、仏間?なんで?」
「うん、いいから。俺もすぐ行くし」
「……?わかった」
秋家が仏間に入るのを確認してから、石富は玄関に行き、サボテンの陰に隠していた紙袋を持って、仏間に向かった。中に入ると、秋家は仏壇の前に座り手を合わせていて、石富も隣に座って手を合わせた。
「西澤さんと次郎さんが、証人だ。なお、これ、誕生日プレゼント」
「え……」
紙袋から白い箱を取り出し、秋家に渡す。戸惑ったようにこちらを見て、それからゆっくり箱を開けた。中にある白いケースを見た途端、秋家は目を丸くして石富を見上げ、じっと見つめてくる。
石富は箱の中からケースを出すと、それを秋家の手の平に乗せ、その下に自分の手をそえた。開けて、と目顔で告げると、秋家は恐る恐る、といった感じで、ぱかっとケースを開けた。中身を見た秋家の目が、驚愕でカッと見開かれる。
「け、んじ……これ……」
「ペアリング……っていうか、俺はマリッジリングのつもりだけど。どうしてもお前に、指輪を贈りたかった……貸して」
石富はケースの中から、小さい方の指輪を取り、秋家の左手を握ると、指輪をそっと、薬指にはめた。サイズが合うか心配だったが、指輪はぴったりと、秋家の薬指にはまった。
その瞬間、秋家の顔がくにゃりと歪み、目からぼろぼろっと涙が零れ落ちた。
「剣、二、剣二……!どうしよ……俺、どうしたらいいの……!?」
滂沱の涙を流しながら、秋家はすがるように石富を見上げる。
秋家の性格からいって、最初から手放しで喜んでくれるとは思っていなかったけれど、今秋家は、相当に困惑しているのだろう。パニックになったように、どうしようどうしよう、と言いながら、泣き続ける。
石富は秋家の手を取って、ケースから大きい方の指輪を抜くと、秋家の手にそれを握らせた。
「俺に、これをはめてくれればいいんだ。それだけでいい」
じっと目を見つめると、秋家はこくん、と頷いた。石富の左手を取り、震える手で薬指に指輪をはめてくれた。それから、秋家はまた困ったように、こちらを見る。
「なお、手、貸して」
秋家の左手に自分の左手を重ね、腕を伸ばし、仏壇の前に握り合わせた手をかかげて、石富はすうっと呼吸をした。
「改めて、ここで誓います。俺はなおを、ずっと愛します。何があっても、絶対離しません。もう絶対、傷つけません」
これから先、またケンカをすることも、きっとあるだろう。だから怒らせたり呆れさせたりすることも、時々はあるかもしれない。でも、悲しませたり、裏切ったり、傷つけることだけは、絶対にしないと誓う。相手を信じる心だけは、失くさないように。
「ひっ、うぅ……剣二ぃ……うぁ……ん」
秋家はもうぼろぼろ泣きじゃくって、しゃべれる状態じゃない。声を上げて泣くのを見ながら、ここ最近、泣かせすぎてるな、と思った。だが今は、悲しくて泣いている涙ではないから、石富としてはただ、抱き締めてあやしてあげることしかできない。
「なお、泣くな。ほら、俺のこと愛してるって、言ってごらん。それで結婚式は成立だ。俺達は、夫婦だよ」
「…うぅ………け、剣二を、あい……愛してます…っ、ずっと好き、ですっ……ひっ……」
秋家はなんとか顔を上げて宣誓してくれたが、言い終わった後にまたしゃくりあげて泣き出した。小さな頭を胸の中に抱え込み、なんともいえない、とても満たされた気分で、秋家の背中を優しく撫でる。
(今日は、結婚記念日だな……)
秋家の誕生日である今日を、2人の結婚記念日にしよう。そして毎年この日は、結婚記念のお祝いと、秋家がこの世に生を受けたことのお祝いを、2人でしよう。
「なお、誕生日おめでとう。これから先ずっと、お前の誕生日は、一緒にいさせてくれよ」
「……そんな、の、当たり前だよ…っ……ずっと、一緒にいて……」
「うん。約束だ」
34年前の今日、お前が生まれてきてくれて、本当によかった。
俺と出逢って、好きになってくれて、本当に――ありがとう。
それからもう一度、2人は誓いのキスをした。
涙で濡れた秋家の唇は、少し、しょっぱい味がした。
【More・・・】
次郎の命日の日。2人の墓の前で、自分達は結婚式をした。ただ、お互いを一生愛する、と言葉で誓っただけのものだったが、石富と秋家にとってそれは、小さくとも本物の結婚式だった。
神父も招待客もいない、正装すらしていない、2人だけの青空結婚式。だが、神父でもあり招待客でもあった西澤と次郎が、きちんと見届けてくれて、祝福もしてくれた。だからそれで、自分達には充分だった。
とはいえ、最初から結婚式をするつもりで行ったわけではなかったから、正直、石富には心残りがあった。それが、指輪なのである。
もしあの場で、誓いのキスと共に指輪の交換ができていれば、どんなに素晴らしかっただろう――そう思った石富は、秋家の誕生日に指輪を贈ろうと決めた。もちろん、ペアリングをだ。
秋家が寝ている間にこっそり指のサイズを測り、休みの日に1人の時間を作って、宝石店に行った。相手が男だとは言えなかったが、秋家の指のサイズは女性の平均を若干上回る程度ならしく、店に在庫もあり、ちゃんとペアで買うことができた。
それと石富は、指輪と一緒にチェーンだけのネックレスも購入した。飲食店なので、衛星管理上、仕事中に指輪はつけられない。それにバイトの子達にペアリングだと気付かれるわけにもいかないので、チェーンに通して首に下げておこうと思った。
リング、チェーン共にプラチナ製で、総額23万円程。これまでそんなにお金を使うことがなく、給料は自然に貯金に回っていたので、これだけ思いきった買い物ができた。リングは重量感もあり、細かくキレイなデザインで、小さいけれど秋家の誕生石のダイヤモンドも入っている。シンプルなものの方がいいかとも思ったが、あえて派手目な、値段の張るものを選んだ。
そんな高い指輪だが、それでも家に保管しておいて秋家に見つかるといけないので、無人のアパートに隠しておいた、というわけだ。
(泥棒とか入ってなくて、ホントよかった……)
料理をテーブルに並べながら、石富は改めて思った。いくら鍵をしていても、さすがに無人のところに置きっぱなしなのは心配だったので、クローゼットを開けた時は本当にホッとした。そして今指輪は、玄関のシューズボックスの上の、サボテンの陰に隠れている。
「よし、できた」
テーブルの上に手料理を並べ終え、石富は腰に手を当てて満足気にそれらを眺めた。
家に帰ってきてから、石富はすぐにキッチンに向かい、ディナーの用意を始めた。手伝おうとする秋家をリビングに追いやって、テレビでも見てろ、とソファに座らせてから、約1時間半。豪華というほどでもないが、ディナーの完成だ。
「なお、できたからおいで」
「うんっ」
待ちわびていたのか、秋家はソファからぴょんと飛び降りて、キッチンのテーブルについた。
「うわぁ、すごい。お店みたいだ」
「大したことねーよ。そんな豪華でもないし」
ラディッシュとハムのサラダに、グリルチキンのレモンソースがけ、サツマイモの入ったリゾットに、手作りのピクルス。スープは、秋家の好きなパンプキンスープだ。
石富は、氷で冷やしておいたシャンパンを取り出し、水分を拭き取ってからテーブルに置いた。
よく冷えたそれをフルートグラスに注ぐと、淡い黄緑色の液体の中を、細かな泡が踊るように昇っていく。秋家はそれを、キレイだと言ってじっと眺めた。
「じゃ、乾杯しよう」
「うん」
石富がグラスを少し上にかかげると、秋家も照れくさそうにグラスを持ち上げ、はにかんだ笑顔を見せた。
「なお、誕生日おめでとう」
「ありがとう。もうそんな、嬉しいって年じゃないけどね」
照れを隠すようにそう言ってから、でも嬉しい、と薄く頬を染めて微笑んだ。グラスを合わせて乾杯した後、秋家はまず、パンプキンスープを口に運ぶ。
「んーおいしいっ。サラダも、これドレッシング作ったの?さっぱりしてておいしい」
「そっか、よかった。お前の好物ばっかだからな」
そこでふと、石富の頭を何かがよぎった。お前の好物、と自分で言った言葉に、あることを急に思い出した。あれは一矢が来た、翌日のことだったか。晩ご飯を3人で食べている時に発覚した、秋家の好きなもの。一矢も大好きで、だが石富は見るのもイヤなくらい、大嫌いなもの。
「なぁ、なお。そういえばさ、お前……納豆、好きだったのか?」
「…っ……え、えぇ?」
秋家は食べていたサラダのハムを喉につめそうになって、シャンパンでそれを流し込んだ。石富はごめん、と謝ってから、急に思い出して気になった、と説明した。
「……ごめん、好きなんだ。でも剣二嫌いでしょ?だから一緒にいるようになって、食べないようにしてたんだ」
「え、俺納豆嫌いだって、お前に言ったことあったか?」
「うーんと、たぶん直接聞いたことはないんだけど……中1ん時にさ、林間学校行ったでしょ?あの時朝ご飯で、納豆が出たんだよね。そしたらさ、剣二全然手つけないで、隣の大和(やまと)くんが食べてるの、すごく不愉快そうな顔して見てたんだ。覚えてる?」
「あー……うん、なんとなく……」
大和は、中1の時に同じクラスで仲良くしていた同級生だ。林間学校の時同じ班だったから、ご飯も並んで食べた記憶がある。秋家は確か、向かいの席に座っていたと思ったが……それを見られていたということだろうか。
「それ見て、嫌いなんだなって思ったんだよね」
「マジかよ。うわ、俺かっこわる……」
子供の頃のこととはいえ、こういうのはちょっと恥ずかしい。自分が知らない間にバレていて、それで秋家は気を使って、食べないようにしてくれていたのだ。好きな食べ物を石富のために遠慮させていたなんて、情けなくて心苦しい。
「それで好きなのに食べなかったんだな……気使わせちまって悪かったよ。遠慮しないで食べていんだぜ?本当に俺、気にしねーよ?」
「……大丈夫。食べなくて平気だから」
「いや、食べていーって」
それから、食べろ、いや食べない、と押問答を繰り返したのだが、なぜそんなに頑なに食べないと言い張るんだと問いただしたら、秋家は照れながら、ビックリするようなことを言った。
「だ、だって、剣二の嫌いなもの食べて、その……俺に、キス、とか、してくれなくなったら、いやだし……」
「えぇっ?」
驚いた石富は、間の抜けたような声を出した。キスって、まさかそんな理由で食べないと言い張っていたとは、予想もしなくてビックリした。だが、これはいつぞや、自分が思ったことと同じではないかと思い出す。
秋家がタバコを嫌いだから、そのうちキスするのを嫌がられるかもしれない。だからいい加減禁煙するか、と数日前に考えた。秋家の気持ちも、これと同じだ。相手が嫌いなものを口にして、口に触れてくれなくなったらどうしよう、とそれが心配でたまらない。
(同じこと考えてたんだな)
なにやらおかしくなって、石富はくくっと喉奥で笑った。
「ごめん、おかしいよね……」
「いや、俺も同じこと思ってたから、それがおかしいいんだ」
「同じこと?」
「ああ。お前、タバコ嫌いだろ?だから俺もな、そろそろマジで禁煙しねーと、お前がキスしてくれなくなるんじゃねーかと思って、本気で禁煙考えてんだ。な、同じだろ?」
「同じ、なのかな……でも別に俺、タバコくらい平気だよ?そんなんでキスしないわけないよ。ああ、でも、健康とか考えたら、そりゃ禁煙はした方がいいけど……でも、剣二なら平気なんだから、気にしないでいいのに」
「そっか、ありがとな。でも俺も、それは同じなんだぞ?別に納豆食っても、お前なら平気なんだよ。むしろ健康にはいいんだから、どんどん食え」
そう言って笑うと、秋家は面食らったような顔をしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと。じゃあ、たまに食べるよ」
「ああ」
それから、色々話しながら食事を終え、片付けは2人でやることにした。石富が洗って秋家がすすいで、食器乾燥機に入れる。その作業すら楽しくて、浮かれているなぁ、としみじみ思う。
全て洗い終え、タオルで手を拭いてから、2人はリビングのソファに座った。そのまましばらくテレビでお笑い番組を見て、それが終わったと同時に、石富は秋家に言った。
「……なお、ちょっと、仏間に行っといてくれないか?」
「え、仏間?なんで?」
「うん、いいから。俺もすぐ行くし」
「……?わかった」
秋家が仏間に入るのを確認してから、石富は玄関に行き、サボテンの陰に隠していた紙袋を持って、仏間に向かった。中に入ると、秋家は仏壇の前に座り手を合わせていて、石富も隣に座って手を合わせた。
「西澤さんと次郎さんが、証人だ。なお、これ、誕生日プレゼント」
「え……」
紙袋から白い箱を取り出し、秋家に渡す。戸惑ったようにこちらを見て、それからゆっくり箱を開けた。中にある白いケースを見た途端、秋家は目を丸くして石富を見上げ、じっと見つめてくる。
石富は箱の中からケースを出すと、それを秋家の手の平に乗せ、その下に自分の手をそえた。開けて、と目顔で告げると、秋家は恐る恐る、といった感じで、ぱかっとケースを開けた。中身を見た秋家の目が、驚愕でカッと見開かれる。
「け、んじ……これ……」
「ペアリング……っていうか、俺はマリッジリングのつもりだけど。どうしてもお前に、指輪を贈りたかった……貸して」
石富はケースの中から、小さい方の指輪を取り、秋家の左手を握ると、指輪をそっと、薬指にはめた。サイズが合うか心配だったが、指輪はぴったりと、秋家の薬指にはまった。
その瞬間、秋家の顔がくにゃりと歪み、目からぼろぼろっと涙が零れ落ちた。
「剣、二、剣二……!どうしよ……俺、どうしたらいいの……!?」
滂沱の涙を流しながら、秋家はすがるように石富を見上げる。
秋家の性格からいって、最初から手放しで喜んでくれるとは思っていなかったけれど、今秋家は、相当に困惑しているのだろう。パニックになったように、どうしようどうしよう、と言いながら、泣き続ける。
石富は秋家の手を取って、ケースから大きい方の指輪を抜くと、秋家の手にそれを握らせた。
「俺に、これをはめてくれればいいんだ。それだけでいい」
じっと目を見つめると、秋家はこくん、と頷いた。石富の左手を取り、震える手で薬指に指輪をはめてくれた。それから、秋家はまた困ったように、こちらを見る。
「なお、手、貸して」
秋家の左手に自分の左手を重ね、腕を伸ばし、仏壇の前に握り合わせた手をかかげて、石富はすうっと呼吸をした。
「改めて、ここで誓います。俺はなおを、ずっと愛します。何があっても、絶対離しません。もう絶対、傷つけません」
これから先、またケンカをすることも、きっとあるだろう。だから怒らせたり呆れさせたりすることも、時々はあるかもしれない。でも、悲しませたり、裏切ったり、傷つけることだけは、絶対にしないと誓う。相手を信じる心だけは、失くさないように。
「ひっ、うぅ……剣二ぃ……うぁ……ん」
秋家はもうぼろぼろ泣きじゃくって、しゃべれる状態じゃない。声を上げて泣くのを見ながら、ここ最近、泣かせすぎてるな、と思った。だが今は、悲しくて泣いている涙ではないから、石富としてはただ、抱き締めてあやしてあげることしかできない。
「なお、泣くな。ほら、俺のこと愛してるって、言ってごらん。それで結婚式は成立だ。俺達は、夫婦だよ」
「…うぅ………け、剣二を、あい……愛してます…っ、ずっと好き、ですっ……ひっ……」
秋家はなんとか顔を上げて宣誓してくれたが、言い終わった後にまたしゃくりあげて泣き出した。小さな頭を胸の中に抱え込み、なんともいえない、とても満たされた気分で、秋家の背中を優しく撫でる。
(今日は、結婚記念日だな……)
秋家の誕生日である今日を、2人の結婚記念日にしよう。そして毎年この日は、結婚記念のお祝いと、秋家がこの世に生を受けたことのお祝いを、2人でしよう。
「なお、誕生日おめでとう。これから先ずっと、お前の誕生日は、一緒にいさせてくれよ」
「……そんな、の、当たり前だよ…っ……ずっと、一緒にいて……」
「うん。約束だ」
34年前の今日、お前が生まれてきてくれて、本当によかった。
俺と出逢って、好きになってくれて、本当に――ありがとう。
それからもう一度、2人は誓いのキスをした。
涙で濡れた秋家の唇は、少し、しょっぱい味がした。
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