2008.10.09 (Thu)
夜明けのキスをあなたに 4−3
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早く、伊鶴に会いに行きたい。会って気持ちを伝えて、そして、伊鶴の本当の気持ちも聞かせてほしい。
伊鶴の言葉が、もし心の中と違っていたのなら。それに気付けなかった自分は、伊鶴を、ひどく傷つけてしまったかもしれない。
体だけ――伊鶴にとって、それは安心できる言葉だと思った。気持ちまで押し付けたら鬱陶しいだろう、ドライに割り切っているふりをすれば、きっと終わりだなんて言われない、あの時はそう思って、そう彼に告げた。しかし、伊鶴は体を震わせながら、『終わらせてくれ』と……。
(俺が言った言葉で、先輩は傷ついたんだ……)
そう思うと居た堪れず、今すぐ伊鶴の家に行って謝りたいと思う。そして、本当の気持ちを知ってほしい――でもその前に、しなければならないことがある。
ごし、と手の甲で涙を拭い、睨むような視線で進行方向を見つめながら、園部は家路を急いだ。
向こうの出方を待つ方がいいかもしれない、と思っていたが、もう待ってなどいられない。こちらから連絡しよう、と思い、園部は腕時計を見た。時間は6時半過ぎ、電話をかけるには、まだ早過ぎる。一旦帰って、少し眠ってからでもいいだろう。あまり寝ていないと、千鶴と会った時に落ち着いて話ができないかもしれない。
店から程近い自宅マンションにたどり着き、園部はシャワーを浴びると、すぐにベッドにもぐりこんだ。ずっと眠れていなかったせいと、『しなければならないこと』がはっきりと見えたおかげか、目を閉じると程無く眠っていた。
昼前に起きて千鶴に電話をかけようと目覚ましをかけていたのだが、それが鳴る前に携帯の着信音が鳴り響き、園部は目を覚ました。ぐっすりとよく寝ていたため、少々恨みがましく思いながら寝ぼけた頭でディスプレイを見た園部は、表示された名前を見てがばっと起き上がった。
(きた、千鶴さんだ……!)
こっちから連絡しようと思っていたが、案外早く向こうから行動を起こしてきた。おそらく、史也から話を聞いていると思って間違いないだろう。園部は数回咳払いをし、携帯の通話ボタンを押した。
「もしもし」
『もしもし。おはよう、ユウヤさん』
「千鶴さん、おはようございます」
『風邪の具合はもうよろしいんですか?』
「あ、ええ、もう治りました。ありがとうございます」
ズル休みした日、輝一郎といるところに、千鶴からきたメール。それに園部は、少し風邪を引いただけで大事無いです、と当たり障りのない返信をした。史也とつながっているかもしれない、ということがわかっていただけに、以心伝心を装った彼女のメールに感動したふりもできず、店には風邪と言っている手前、一応それだけは伝えておいたのだ。
『そうですか、よかった。ところでユウヤさん。今日、お仕事お休みですよね。……会っていただけませんか?』
意識し過ぎているせいか、その彼女の言い方に、どこか含みを感じた。
「俺も、千鶴さんにお話があります。ぜひ、会って話したいです」
『……そうですか。では、2時に駅前でお待ちしています』
「はい、じゃあ後で」
そう言って電話をきり、園部ははぁ、とため息をついた。変に緊張してしまったが、なんとか、普通に話せた。あまり下手なことは言えない、と思うから、ついつい言葉を選んでしまい、余計に気が張ってしまう。
「あ、そうだ」
輝一郎にも連絡しておこう、と思い、メールに昨日の史也とのやりとりから、千鶴に会うことになったさっきまでの流れを、手短に打ち込んでいく。大学生の時は園部と一緒にホストクラブで働いていた輝一郎も、今ではすっかり普通のサラリーマンだ。この時間なら仕事中だろうから、電話をしたら邪魔になる。おそらく手が空いたらかかってくると思うので、細かい説明はその時にすればいい。
輝一郎にメールを送ると、園部は寝室を出てキッチンに行き、熱いコーヒーを入れた。インスタントコーヒーの瓶をしまってある棚を開けると、未開封の紅茶葉が目に入り、いつも園部は切なくなる。
また、彼のためにアイスティーを作ることができるだろうか。願わくばこの紅茶葉が、無駄にならなければいいと切に思う。
正午を回り、テレビがお昼のニュースになって数分してから、輝一郎から電話がかかってきた。メールの補足説明をし、これから千鶴と会うのだと言うと、輝一郎はちゃんと終わらせて来い、と励ましてくれた。
『お前にしちゃ大した行動力だな。俺も調べてみようと思ったのに、その暇もなかったじゃねーか』
「ありがと、きぃっちゃん。とにかく今日、ちゃんと話してくる」
何が真実でも、受け入れて、終わらせる。そして堂々と、伊鶴の元へ行きたい。
輝一郎との電話を切り、軽く朝食兼昼食をとった後、園部は出掛ける準備をして早めに家を出た。約束の20分前に駅に着き、ベンチに座っていると、2時5分前に千鶴がやってきた。
「こんにちは」
千鶴はそう言って園部の前に立ち、笑った。だが、その笑顔はどこか硬く、いつもの彼女と明らかに様子が違うことを伝えてくる。
園部は立ち上がり、自分の笑顔もそう見えるかもしれないな、と思いつつ、それでも作り笑顔は慣れたものと、千鶴にやんわりと微笑み返した。
「こんにちは、千鶴さん」
「お体の具合は良さそうですね」
「はい、おかげさまで」
「お話があるんでしたよね。私も、ユウヤさんにお話がありまして……ここじゃなんですから、移動しましょうか」
「あ、はい」
自分も話がある、という千鶴の後をついていくと、大きな噴水のある公園に着いた。平日の昼間ということで、噴水の周りには小さな子供と、ベンチには母親らしい女の人が何人か座っていた。営業だろうか、座って休んでいるサラリーマンもいて、平穏な日常の風景といった感じだった。
そんな中を、妙に張りつめた空気を纏わせながら、2人は歩く。千鶴は噴水を素通りし、人の多い場所から少々離れたベンチに腰かけて、どうぞ、と隣に手をやった。千鶴の隣に座り、だがすぐに別れ話を切り出すのもどうかと思い、園部は黙ったまましばらく千鶴の出方を待った。
彼女に別れを切り出すという行為は、実に高校生の時以来だ。しかし、当時は10代、それに相手の気持ちを考えるという気遣いもできなかったため、ただ彼女に『別れよう』と言えばそれで終わりだった。だから緊張した、という覚えもなく、それにその時の状況も忘れているから、こういう場合、いつ、どんなタイミングで話を切り出すべきなのか、本当にわからない。
(しかも、普通の別れとは状況が違うわけだしな……)
ただ別れよう、と言うだけでは、終わらないのだ。史也達とのつながりも、はっきりさせなければならない。
「ユウヤさんとお付き合いするようになって、10日ほどでしょうか」
「え……、あ、はい。そうですね」
先に口を開いたのは千鶴だった。園部は返事をすると、ちらりと横目で彼女を盗み見る。じっと正面を見つめ、園部の方を見ようとはしないが、特に声音や仕草におかしな様子もない。園部は視線を前方に戻し、この10日のことを少し振り返ってみた。
千鶴とは、昼間に数回デートをしただけで、それ以外には何も恋人らしいことはしていなかった。肉体関係もまだないし、それどころか、キスもしていない。
プラトニックといえば聞こえは良いが、だが、これはおそらく、そんなものではないと思う。
今だからわかるが、自分は、千鶴を求めていなかった。恥ずかしがっていたわけでも、特に大事にしたいと思ったわけでもなく、しよう、と思わなかった。千鶴は美人だし、もちろん抵抗などあるはずもない。例えばもし、千鶴との付き合いがセフレとしての軽いものなら、すぐにでもセックスするだろう。だが、『彼女』としての千鶴に対して、園部の中にそういった欲求が起こらなかったのだ。
しかしそれには、千鶴にも原因があった。園部のことを好きだと言いながらも、彼女の目には情や欲といった“色”が、少しも浮かんでいなかった。そのことに、自分はどこかで気付いていたのだ。だが、千鶴の気持ちを疑いたくなかったから、気にしないようにしていた。
それこそ、彼女はプラトニックな付き合いをしたいのだ、と思い、それもあって、園部は千鶴に性的な接触をしなかった。それが良いのか悪いのかわからないが、こうなった今は、しなくてよかったのかもしれないと思う。
すると突然、園部の頭の中を読んだかのように、千鶴が言った。
「私達、キスもしなかったわね」
「えっ、あ、そうですね……」
驚いて千鶴を見るが、やっぱり彼女はこちらを見ていない。そのまま、千鶴は話を続ける。
「中学生じゃあるまいし、何回デートしてもキスもしてこないなんて、少しビックリしたんですよ」
「あ、そ、それは……」
返答に困る。まさか千鶴がこんなことを言ってくるとは思わず、どう答えていいものか迷ってしまう。これは遠まわしに、甲斐性のない園部に対して嫌味を言っているのか、それとも単に、呆れているのか。どちらにせよ、良い意味でないことは確かだ。
だが、続いた千鶴の言葉で、そのどちらでもないことを知る。
「……ま、私はそれで、助かりましたけどね」
「はぁ……はっ、え??」
耳を疑う、というのは、こういうことを言うのだろうか。彼女の言ったことが信じられず、どういう意味だ?と眉根を寄せて複雑な顔をすると、千鶴はこちらを向いて、ふん、と鼻で笑った。
(え………)
見たことのない顔だった。今まで、どこのお嬢様かと思うほど、いつもニコニコしておっとりと礼儀正しかった千鶴が、じとりと、園部をねめつけるように見ている。
「助かったって言ったのよ。あんたとキスするなんて、冗談じゃないっての」
「え……千鶴、さん……?」
誰だ、これは。
千鶴の表情と言動が、急にがらりと変わった。おしとやかに斜めに揃えていた脚をだるそうに組み上げ、腕も組んでいる。それに、急に悪くなった言葉使い。
園部は呆気に取られ、目の前で“変身”してしまった女性を、ただ見つめた。
「……ねぇ、聞きたいんだけど。あんた達ホストなんて、金使わせるのが仕事でしょ?客の気持ちなんて考えてない。頭の中お金のことしかないのよね?店に行くために、客がどんな苦労してるかなんて、そんなのどーでもいいって思ってんでしょ?全く、最低よね。なんであんた達みたいな商売が存在するのか、理解できないわ」
千鶴はさらに眼つきを鋭くして、ぎり、と園部を睨みつける。そこにははっきりと、嫌悪が浮かんでいた。豹変したその表情に、園部はショックを通り越して、驚愕すら覚える。
史也に続き、千鶴もまた、本性を隠していた。これはもうどう見ても、園部のことを憎んでいる、恨んでいる……。好きだから、と言ったあの言葉は大嘘で、千鶴もまた、園部の前で演技をしていたのだ。
(なんで……?なんでだよ…っ………)
会ったことのない2人。その彼らに、自分はなぜここまで憎まれなければならないのだろう。
そして千鶴もまた、『ホストなんて、金使わせるのが仕事』と、史也と同じことを言う。
一体自分の、何を知っているというのだ。園部がどんな気持ちで仕事をしているのか知りもしないくせに、勝手なことばかり言って、勝手に、嫌って。
「俺が、何をしたっていうんですか……」
腹の底から絞り出すような声で、園部は千鶴に向かって言った。
もうわからない。だから、教えてほしい。俺はあなた達に、何をしたんですか――?
「……何をした、ねぇ……そう、とっても許せないことよ。あんたは、人の人生をめちゃくちゃにした。だから、あんたのことを、めちゃくちゃに傷つけてやりたかった……!」
憎々しげに吐き出された、千鶴の言葉。ゾッとするほど、それは『本気』だった。
「……教えてあげるわよ。あんたがどんだけ最低か。あんたはね、私の……」
「お姉ちゃん……!」
その時、女の人の叫び声がして、園部も千鶴も驚いてそちらを振り向いた。そこには、千鶴の友人の女性と史也が立っていて、そしてもう1人、見覚えのある女性が、史也に支えられて立っていた。
(あ、れ……彼女は、確か……)
思い出す、昔のこと。彼女は、“あの子”だ。そう、名前は……
「美鈴(みすず)……!あんた達、なんで連れて来たのよ!」
そうだ、『美鈴ちゃん』といった。
千鶴が、史也と友人の女性に向かって怒っている。連れて来てほしくなかったのか、悔しそうに拳を握りしめ、史也を睨みつける。
(そっか……千鶴さんの、妹だったんだ……)
全部、わかった。
約4年ぶり、だろうか。髪が伸びて、雰囲気が少し大人になっている。当時はまだ20代くらいだったから、それも無理はない。ほとんど毎日スカーレットナイトに来てくれて、いつも新人の園部を指名してくれた、お客の女の子。だが彼女は――出入り禁止になってしまった。
手が、微かに震えてくる。ずっと彼女のことは気にしていたけれど、急に目の前に現れて、なんと言葉をかけていいのか、わからない。
園部が複雑な表情でジッと見ていたら、視線に気付いた美鈴はポッと照れたような顔をしたが、すぐに視線を落とし、俯き加減で言った。
「お、お久しぶりです、ユウヤさん……」
消え入りそうな、小さな声。
その声に、4年前、まだスカーレットナイトに入店したばかりの頃の記憶が、一気によみがえってきた。









