2007.12/21(Fri)

笑う策士と不機嫌なエンジェル(前編−1)

前編−1

【More・・・】

 自分を神経質だとか潔癖症だとか、特に思ったことはないのだけれど。
 小湊(こみなと)ヒカリは、大きなつなぎ作業服をドラム式洗濯機に押し込みながら、改めてそう思った。

(ホント汚い…靴下、なんでこんなに汚れるの…)

 靴を履いているはずなのに、ここまで汚れる理由がヒカリにはわからない。ドロなのか鉄錆なのか、茶色く汚れた靴下に脇の黄ばんだ白いTシャツ、それらを親指と人差し指で摘んで、ポイっと洗濯機に放り込む。洗剤を入れて洗濯機を回すと、すぐさま水が茶色くなって、ヒカリは思わず「うわぁ…」と声を出した。

 さすがに、ここまで汚れたものを生理的に汚いと感じてしまっても、これは人として仕方がないことだと思う。例えその『汚している本人』が、ヒカリの恋人だったとしても。

 2週間前から一緒に住み始めた恋人、志波(しば)朋寿(ともひさ)は、ヒカリより4つ年上の23歳で、男、である。ヒカリはいわゆるそういう種類の、しかも受身でありたい人間だった。
自覚は中学生の頃からすでにあり、だから男と付き合うことはヒカリにとって普通のことだ。でも、志波はたぶん違う、とヒカリは最近思うようになった。

 なった、というのは、ずっと志波を仲間、つまりゲイだと思っていたからだ。理由は、出会い方がいかにもゲイ同士というような、そういう店で志波にナンパされたことがきっかけだったからである。

 2ヶ月前のこと。
 まだ18歳のヒカリだが、ゲイバーに1人で行くことがたまにあった。以前付き合っていた大学の先輩に連れて行ってもらってから、マスターがヒカリを気に入ってくれていたこともあり、彼と別れてからもたまに顔を出すようにしていたのだ。未成年なので、お酒は飲ませてもらえないけれど。

 その店に1人でいた時に、志波に声をかけられた。

――ねぇ君、すごいきれいだね。1人なの?

 安っぽいナンパの常套句に、その時のヒカリは正直『ウザい…』と思った。
 実際ヒカリは、かなりきれいな容姿の人間だった。体に半分流れるイギリス人の母親の血は、目と髪と肌の色に濃く表れていて、グリーンの瞳に金髪とまではいかないライトブラウンの髪、そして透けるような白い肌は、男女問わず人の目を惹きつけた。

 しかし体の小ささや線の細さは、残念ながら日本人の父親の血が濃く出てしまったようで、思ったほどは成長しなかった。それでもヒカリは、今のサイズで満足している。なぜなら、この容姿のおかげで、男の人に優しくしてもらえることが多いからだ。

 睫毛の長い、ぱっちりとした目で、少しだけ天然パーマが入った髪をふわふわ揺らして甘えれば、例えノーマルの男の人でもヒカリを無視できない。それが、男が好きな連中ならなおさら、目の色を変えてヒカリに言い寄ってくる。

 だからヒカリは、たとえこんな特殊な性癖でも、恋愛で悩んだことなど一度もない。今までヒカリと付き合った人はみんなヒカリに優しくて、いつもヒカリを満足させてくれた。大人でお金も持っていて、セックスも優しい。そういう“恋愛”が、ヒカリは好きだった。

 だから志波にナンパされた時、もう少しおしゃれな誘い方ができないのか、とプライドの高いヒカリは腹が立った。だから志波の最初のセリフには、顔も見ないで無視を決め込んだのだ。

――ツンツンしちゃって、ますます可愛いな。1人なら俺と遊ばねーか?

 可愛い、と言われて少々ムッとして、ヒカリは声をかけてきた男の方をちらりと見た。そしたら。

(……!うそ、超タイプ……!)

 めったにお目にかかれないほど、ヒカリのタイプの男がそこにいた。
 野性味の強い、きりりとした顔つきに、きれいにセットされた黒い髪。高級ブランドのスーツを身に纏い、ふわりと香るコロンも自然で、いやらしさがない。彼の体臭と相まって、とても好ましい匂いがした。ヒカリはあんまり美形の男というのは苦手で、どちらかといえばこういう、背が高くて逞しい、精悍な男が好きだった。

 一目で気に入ったヒカリは、志波に誘わるまま奥のボックス席に移動し、2人で飲んだ。といってもヒカリは正直に年齢を言って、マスターに怒られるからと酒を断りオレンジジュースを飲んだのであるが。

 話が進むうち、ヒカリはますます志波に惹かれていった。さっき会ったとこだと言うのに、彼の声や話し方、どことなくノーブルな笑い方や、グラスを口に運ぶ仕草1つにまで、色っぽさを感じずにはいられなかった。
 ヒカリの好きな、大人の男。

 話によると、志波はどうやら建設関係の仕事らしくて、将来は一級建築士かな、とヒカリは勝手に想像し、それもかっこ良く思い、もうたまらなくなってしまった。

 いいなぁ、好きだなぁ、と思いながら、ヒカリを楽しませるために話を続ける志波をじっと見つめていたら、不意をつかれてチュッと唇にキスされた。
 びっくりしてパチパチと目をしばたたくと、ぐいっと引き寄せられて、ものすごい力で抱き締められた。そしてまたキスをされ、ヒカリはそれで完全に落とされてしまった。

 夢中になってキスして、誘われるままホテルについて行って。会ったその日にHしたのなんて、初めてだった。志波の抱き方はとても丁寧で優しくて、セックスまでもがタイプとくれば、ヒカリはもう当然のように志波に夢中になった。

 その日から付き合い始めて、志波はすぐに一緒に住もうと言い出した。ヒカリもそうしたいのはやまやまだったのだが、4月から住んでいる大学近くのアパートが1年契約だったため、春まで待ってほしいとお願いした。ところが志波は、今すぐがいいと言って聞かず、自分の後輩だというヒカリと同じ大学の学生をどこからか連れて来て、こいつをお前のアパートに住まわすから、お前は俺のマンションに来いと、半ば強引に又貸し状態にしてしまったのだ。

 困ったヒカリだが、一緒に住みたいという気持ちの方が強かったため、親に誤魔化しながら事情を話し、ヒカリに甘い両親はしぶしぶ了承してくれた。家賃や光熱費、水道代はその後輩がヒカリの口座に振り込むという、なんだかそういうことで話はついてしまった。

 そして2週間前から、やっと一緒の生活が始まったのだが、ヒカリはそこで志波の正体を初めて知った。

 まず家に入った時、床に散乱した服や雑誌、空き缶や食べかけのお菓子などを見て唖然とした。そして風呂場に置いてある洗濯物入れの籠を見た時、まずはそのにおいに驚き、そして放置されたままの汚れた作業服の山に言葉を無くした。

 キッチンのシンクには洗わずに置かれたままの食器類があり、排水溝からは何か出てきそうなくらい、すさまじい臭いがした。思わず鼻を押さえ、よろけた先にあった冷蔵庫を開けて見てみると、吐きそうなほどの悪臭に、思い出すのも寒いような、なんだかよくわからないかたまりが見えた。パタンとドアを閉め、ヒカリはしばし呆然と立ち尽くした。

 寝室くらいは、と1つある部屋を見に行くと、そこには服はもちろん、パンツに靴下、雑誌、ビールの缶、紙くずが床に散乱し、ベッドの頭の部分にはタバコの吸殻が山のように刺さった灰皿、CDやMD、それになぜかベッドの上には、うさぎのぬいぐるみが数個転がっていた。

 よろよろと部屋を出て、ヒカリは安全で清潔な場所を探した。しかし、1LDKの部屋全体に、何かが散らかっているか空気がくさいか、もしくはその両方のいずれかだった。

 ヒカリはもうイヤ!と叫び、出て行こうと玄関に向かった。しかし玄関には、190cm近い志波が腕を組んで仁王立ちしており、どうやっても外に出してくれなかった。
 こんなの無理です!と叫んで暴れるヒカリに、ヒカリをあやしながら俺は片付けられねんだ、と詫びる志波。唯一モノが散らかってない玄関で、2人はしばらく言い合いをした。

 せっかく大学から自転車で5分だったアパートを人に貸し、通学時間がバスで20分になるのを我慢して志波との暮らしを選んだのに、その現状がこれである。もうあのアパートには住めないし、ヒカリはどこにも行けないのに。

 ここに住むしかないのかと思ったら、ゾクリと背筋が寒くなった。あの、キッチンの排水溝。風呂場の排水溝は…?トイレの中は…?そう考えると、おぞましさで背中が凍った。

 泣きそうになりながらぐったりと玄関の壁にもたれて、志波をきりりと睨みつける。志波は悪い、と謝りながら、とにかくお願い、出ていかないでくれ、とヒカリに頭を下げた。

 あんなに、かっこよかったのに。夢みたいな理想の男に会えたと思ったのに、現実はこうなのか。この世の中に、何もかも完璧な男なんていない――あきらめたヒカリは、腹を括って翌日から大掃除を始めた。

 100円ショップで掃除用品を色々買い込み、ドラッグストアで強力なトイレ用洗剤、お風呂用洗剤、キッチン洗剤、漂白剤、ゴム手袋を3つほど、そして大きめのマスク。

 それらを買ってあの恐ろしい汚部屋に戻り、まずは落ち着ける場所を1つでもと、リビングの片付けから始めた。ここはまぁ、散らかっているだけだったので、荷物を部屋の隅っこに寄せて掃除機をかけ、なんとか終わらせた。寝室も同様にして掃除機をかけると、元々がわりと良い部屋だけに、そう時間はかけなくてもきれいになった。

 しかしゴミを入れた袋をとりあえずベランダに、と思いベランダに出たヒカリは、そこでまた倒れそうになる。何ヶ月放置しているんだ、という数のゴミ袋が、ベランダいっぱいに転がっていた。

 ムッカーときて、それで一旦やる気を失くし、気分転換をしようと近くのコンビにまで買い物に行った。トイレを借りて、ついでに弁当を買って近くの噴水がある公園で食べた。噴水で癒されても、あの部屋に帰るのかと思うと気が重く、もうこのまま実家に帰りたくなった。しかし今朝志波は仕事に出かける時、出ていかないでくれよ、とヒカリに念を押して行ったので、それを裏切れるほどヒカリも冷たい人間ではない。弁当がらを捨てると、しぶしぶ部屋に戻った。

 今までヒカリは、付き合った男の部屋の掃除なんかしたことがない。みんな広くてきれいな部屋に住んでいて、彼氏の部屋にいる時、ヒカリは何もしなくてよかった。甘やかされて、ヒカリはいつも大事にされてきたのに、どうして今こんなことを……心の中で志波に文句を言いながらも、ヒカリは掃除を続けた。

 リビングと寝室を終え、覚悟を決めキッチンに挑む。マスクをしていてもそれを超えて悪臭が鼻をつき、ヒカリは何度も吐きそうになった。しかしベランダに出て外の空気を吸いたくても、あのベランダでは部屋以上に気分が悪くなりそうだったので、寝室の小窓から顔を出して新鮮な空気を吸った。

 よくあのベランダで近所から苦情がこないものだと思いながら、涙目になってゴム手袋をした手でシンクの排水溝を持ち上げたヒカリは、あまりの光景に気を失いそうになった。一瞬眩暈がして、それでもがんばるヒカリは、もう意地になっていたのかもしれない。

 しかし1日で全部は終わらず、夕方帰って来た志波に、リビングと寝室にあった荷物をどこにしまうのか聞き、押入れにそれらを入れて初日は終了。夕食は家で食べる気がしません、とヒカリが文句を言ったため、前日と同様外食をした。

テーマ : 自作BL小説 - ジャンル : 小説・文学

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