2008.01/26(Sat)

君に初恋、桜色。5−1

chapter5−1

【More・・・】

 心臓に鉛でもつまっているみたいな重たい気分で、秋家は電車に揺られていた。何もかもが最悪で、本当に気持ちが悪くなりそうなほど憂鬱だった。

 今日は久家に指定された約束の木曜日だ。秋家は仕事が終わるとすぐに出掛ける用意をして、駅まで歩いて電車に乗った。行きたくないと心底思うけれど、言う通りにしないと何をされるかわからない。

 だが今秋家の中を重たいもので満たしているのは、久家ももちろんそうだが、何よりの原因は石富だった。

 あの日――いつも何も言わない、と哀しそうな顔で言われた日の翌日から今日まで、秋家は石富に避けられているのである。むろん、あからさまに無視をされたり逃げられたりするわけではない。挨拶はするし、仕事の話もいつも通りするし、アルバイトの子達がいる前では至って普通だ。だが、2人になるとどうにも避けられているように感じてならない。

 一見、いつもと何も変わらないように思えるが、話している時の視線や表情、仕草や頷き方、そういう細かい部分で、間違いなく見えない壁ができていることを秋家は確信していた。

 いや、壁ならもう、ずっと昔から自分達の間にはあったのだ。秋家が石富に恋心を抱いている時点で、親友という関係は成立していないのだから。

 そして今になって、石富に限界が来てしまったのかもしれない。秋家がゲイと知っても態度を変えなかった石富だが、あまりに隠しごとばかりの秋家に嫌気がさして、それが自然になのか、故意になのかはわからないが、態度に出てしまっている。

 いくら空白の時間があっても20年以上付き合っていれば、細かくとも態度に変化があれば秋家にだってわかる。しかもずっと好きで見てきた相手なのだから、自分に対しての反応にはことさら敏感というものだ。

(あんまり、目合わせてくれないんだよね……)

 それが秋家にとっては、泣きたいくらいつらかった。いっそ何もかも話してしまおうかとも考えたけれど、もし嫌悪感を持たれたら、そう思うとそれも怖くてできなかった。結局どうすることもできず、ただ事務的な会話だけを交わすここ数日は、悲しくて苦しくて、息が詰まりそうだった。

 それでも笑顔の仮面を貼り付けて仕事をこなすものだから、不眠症は相変わらずだが、食欲も不振気味で、胃の調子もあまりよろしくない。

(気分悪いし……早く帰りたい……)

 次は新宿、という車内アナウンスを聞いて、秋家はのっそりと立ち上がり出入り口前に立った。電車は速度を落とし、目的の駅に停車する。降りた秋家は重たい足を引きずるようにして行き慣れた街に向かい、指示された店の中に入った。

 キョロキョロ店内を見渡すと、カウンターにそれらしき男が1人で座っていて、マスターと何やら話をしている。

(あれかな……)

 一度しか会ってはいないし、行動が行動なので好意は持てていないが、久家は長身だし普通にかっこいい。だからかなり人目を惹くようで、後ろを通る人や回りにいる人が、1人でいる久家を気にしてカウンターの方をちらちら見ているのがわかる。

 それなのにこれから彼の相手をするのは、全く乗り気でない、むしろ嫌で嫌で仕方がないと思っているような、こんな自分なのだ。それが何やらおかしくもなり、できるなら彼らのうちの誰かに変わってほしいと心底思った。

「……こんばんは」

 秋家は久家の横に立つと、冷めた声で挨拶をした。

「ふーん……まぁちょっと時間過ぎてっけど、来ただけましか。まぁ座りなよ。なんか飲めば?」

 久家は自分の隣の椅子を引いて、秋家に座るよう顎でしゃくって促す。だが秋家はそれには応じず、立ったまま久家を見下ろし、明日仕事なんだ、と彼に言った。

「朝早いんだ……だから、ここで飲む時間なくて……早く、その……帰りたいから、ここ、出ない?」

 セックスするんならさっさとやって、早く帰らせてくれ、要するにそういうことだが、そのままストレートに言葉に出すのは当然控えた。俯き加減でもごもご話す秋家をじっと見上げていた久家は、おもしろそうにニヤッと笑って、声量を落とすことなくとんでもないことを言ってくれた。

「あんたが淫乱なのはわかるけどさぁ、そんなにすぐヤりに行かなくてもいーじゃん。俺はあいにくと年中サカッてるわけでもないんでね。ついでに言うと今日はヤるために呼んだんじゃないんだし。それとも何?セックスしないなら帰る!とか言っちゃう?」
「な、なにを……っ」

 潜めた声ではなかったため、マスターをはじめ近くの人には確実に聞こえていた。聞こえた他の客は明らかに秋家を見てくすくす笑っているし、少しだけ顔見知りのマスターも、チラッとだけこちらを見て、おやおやとでも言うように小さく笑った。

 久家はカウンターに肘をついてニヤニヤ秋家を見上げながら、どうぞ、と隣の椅子を再び勧めてくる。秋家はよもやこのまま帰るわけにもいかず、しぶしぶ久家の隣に腰を下ろした。

(この人、なんなんだよ……!)

 やられた、と思った。秋家はてっきりセックスの相手をするものだと思っていたから、どうせホテルに行くなら早くしてほしいと言っただけだ。あれだけ卑猥なメールばかりが来ていたのだから、呼ばれた=ベッドの相手だと思っても、それは秋家の非ではないと思う。

 それなのに、今日はヤるために呼んだんじゃない、だなんて、一体どういうつもりなのだろう。しかも周りにこれだけ聞こえてしまっては、今秋家が帰れば事情を知らないマスターもこの人達も、秋家のことを“セックスしない相手とは話もできない淫乱”と思うに違いない。

 気にしなければ問題ないだろうけれど、気の強くない秋家には、それができない。それに自分が帰った後、久家がさらに何か言わないとも限らないし、このまま帰っても落ち着けないことなど、目に見えている。

 しないなら用事はない、だったら帰らせて、と言おうとした秋家の退路を、久家は素早く断ってしまった。話なんか何があるのかわからないが、どうやっても従うしかない。
 恥ずかしさと怒りでムスッと俯いたままの秋家に、久家は顔を寄せて楽しそうに笑う。

「まぁ、酒でも飲めば?おごってあげるからさ」

 9つも年下の人間におごってなんかもらえるか。そう思ったけれど、こんなに嫌な思いをさせられたのだから、少しくらい出してもらっても罰は当たらないだろう。

 だが酒はやめておこう。秋家がマスターにウーロン茶を1つ頼むと、久家はなんでお茶だよ、と言ってまたバカにしたように笑った。

「長居しないから。だって、明日早いって言ったでしょ」
「ふーん、そうかよ。じゃあ、お話しましょうか」

 その言葉にちらりと久家を見ると、久家もこちらを見ていてニッと笑われた。カチンときてプイと前を向いた秋家は、目の前に出されたウーロン茶を半分ほど一気に飲んだ。

 久家の長い髪の隙間から見える、左耳に3つもつけているゴールドのリングピアス。さっき彼を見た一瞬、ライトの灯りでそれがキラッと輝いた。

 その光が妙に、不愉快だった。

テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

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