2008.02/07(Thu)

君に初恋、桜色。6−5

chapter6−5

【More・・・】

「えーと、あなた、剣二のお友達かしら?」

 彼女はそう秋家に問いかけながら、慣れた様子で部屋に入ってくると、さっきまで石富が座っていた場所に腰を下ろした。

「あ、はい。一緒にお店をしてます、秋家といいます」
「秋家?………そう、あなたが……私、元妻の貝崎(かいざき)久美子(くみこ)です」

(やっぱり……)

 声を聞いたことある気がしたのは、彼女とは一度電話で言葉を交わしているからだった。7年前、石富の実家に電話をかけた時に、主人は出掛けています、と丁寧に対応してくれた、あの時の声の主だ。石富の結婚の事実があまりにショックで、その一言がずっと頭から離れなかったから、こうして実際に声を聞くと今でもはっきりとあの一言が思い出される。

「そう、ですか……お世話になってます」

 秋家がぺこりと頭を下げると、久美子はプッと吹き出した。

「やだわ、離婚してるんだからお世話もなにもないでしょ。関係ないわよ、もう」

 ふふふ、と久美子は笑った。
 ずいぶんと彼女は明るく離婚と言うけれど、、仲違いして別れたわけではないのだろうか。こんなに遅い時間に別れた夫の家に訪ねて来て、本人が不在でも当然のように家に上がり込んで来るということは、少なくとも普段からここに来ていることは間違いないだろうけれど。

 店に来た友人に聞いて知った石富の離婚だが、本人の口からは一度としてそのことについて聞いたことがなかった。つらいから言いたくないのかと思っていたけれど、今もこうして付き合いがあるとは思ってもみなかった。
 義妹から会いたいと言われることに困っていたから、元奥さんとはもう関わりがないのだと思っていたのだが。

(なんか、よくわかんない……)

 よくわからないけれど、なぜか不安だった。

 単純に、元とはいえ妻だった女性への嫉妬心も少しはあるし、その女性と今も会っていて、おそらく仲が良いだろうことにも胸がきりきりと痛くなる。そして、今でも仲が良いのになぜ離婚したのか、とても気になった。でも、だからといって石富本人が秋家へ話さないことを、偶然会った元妻に聞くのはやはり卑怯なことだし、それになぜか、聞いてはいけない、そんな気がして。

「ところで剣二は?一緒にいたんじゃなかったの?」
「あ、タバコを買いに行きました」
「タバコ?たくさん買い置きしてあるはずなんだけど、おかしいわね……まぁいいわ。それより、秋家さん?昔一度、電話で話したことあるわよね。話したっていうか、剣二いますか?いません、ってだけだけどさ」

 久美子はくすくす笑いながらあの電話のことを言ってきた。むろん覚えているが、秋家にとっては全く笑える話ではないため、無理に微笑んで顔を作る。

「覚えてますよ」
「あの後、剣二が帰って来たからあなたの電話のこと伝えたのよ。そしたらすぐにまた出掛けてくるって出て行っちゃってね………ねぇ、秋家さん。私達の離婚の原因、剣二に聞いてないわよね?」
「え……あ、はい。聞いてないです」

 久美子はきれいな笑顔を崩さず、やけにじっと秋家の顔を見つめている。視線のやり場に困り、秋家はふと目を逸らして下を向いた。

「どうして聞かないの?友達が離婚したら、普通は話聞いたりするもんじゃない?」

 普通は、というところを少し強調気味に言われた気がしたが、これは単に秋家が『普通の友達ではない』から、意識しすぎてそう聞こえただけだろうか。

「そう、ですけど……剣二が言いたくないことなら、聞かない方がいいかなって……」
「確かにそうね。でも、気にならない?」
「……それは、少しは……」

 相変わらず、久美子は微笑んでいる。だがその笑顔の下に、もう1つ表情があるような気がして、秋家はまっすぐこちらを見る彼女の目を見つめ返せない。

「剣二と私、同じ年なのよ。私が大学生の時から付き合ってて、結婚したのが26歳の時。私は仕事辞めたくなかったから、まだ結婚は考えてなかったんだけど、親が早くしろってうるさくてね。剣二もあんまり乗り気じゃなかったんだけど、向こうも親に急かされてたみたいで、流されるみたいに結婚しちゃったのよ。付き合いが長くなりすぎると婚期を逃すとか、母親に言われてさぁ」

 まいるわよ、と言いながら、久美子はハンドバッグの中に手を入れ、シガレットケースとライターを取り出した。タバコ吸う人なんだ、と思って見ていると、ケースから出てきたタバコの銘柄が石富と同じラッキーストライクだったので、そこで少しまた、ちくんと嫉妬の虫が胸を刺した。

 久美子は、秋家に自分達の離婚の原因を話す気らしい。知りたい欲求は確かにあるが、こんな形で聞きたいとは思っていなかった。とはいえ、話をやめてくださいとも言えないから、大人しく聞くしかない。

(結婚したのが26歳……じゃあ、剣二と再会した時、2人は新婚さんだったんだ……)

 また嫌な時に連絡したもんだ、と今更ながら落ち込んだ気分になる。
 久美子はタバコを銜えライターで火をつけると、ふーと紫煙を吐き出して、話を続けた。

「でも結婚したからって、何も変わらなかったわ。私は仕事辞めないし、子供ができるわけでもないし。ただあいつの家に一緒に住むようになっただけだった。でも仕事も順調だし、しばらくはこのままでもいっか、なんて思ってたんだけど……そんな時よ。秋家さん、あなたから電話がかかってきた」

 いきなり名を言われ、驚いて久美子を見ると、さっきまでの微笑んでいた顔は消えうせ、無表情で秋家を見ている。美人なだけに、黙って見つめられるとひどく冷たく感じる。

「あぁ、その前に。秋家さん、剣二が前どこに勤めてたかくらいは知ってるわよね?」
「はい、一応……ジュリズフォレストキッチンですよね」

 石富が以前勤めていたジュリズフォレストキッチンは、首都圏に多数店舗を持つ、有名な洋食レストランのフランチャイズチェーンだ。ファミレスよりグレードが高く、高級レストランより身近であることが売りで、価格は手頃だが味はハイクラス、とグルメ雑誌ではいつも高評価を受けているらしい。

 ウィンド・ベルを始める時に、石富があまりにもあっさり辞めてきたのが不思議で、一度調べてみたことがある。でも調べるほどに何もかもの評判が高いことがわかってきて、そんなところを辞めさせてしまったのかと思うと、それ以上詳しく調べるのが怖くなった。

 だから秋家は、石富が言った言葉だけを信じて、こんな小さい喫茶店なんかで働かせているという罪悪感から、ずっと目を背けてきた。

――そんなフランチャイズチェーンで決まったモン作るより、俺は自分で全部やりたいんだよ。それに下っ端コックで言われた通りのことやってるのにも、いい加減うんざりしてたんだ。

 石富はこう言ってくれた。だから、その言葉だけを、信じていたのだけれど。
 続く久美子の話は、秋家のそんな心を、ひどくあざ笑うものだった。

「剣二ね、ジュリズのこっちの支店で副料理長やってたのよ。若いけど腕がいいってオーナーにも直々に気に入られててね。
 7年前のその当時、東京に新しく支店ができる話が持ち上がって……今の青山支店なんだけど、剣二を料理長にってオーナー自ら指名してきたの。ジュリズはね、チェーン店だけど店によってメニューが全然違うのよ。信頼してるシェフに全部任せるって方式だから、同じなのは店名だけで、料理長になったら、そこは自分のレストランなのよね。剣二ずっと自分で全部やりたいって言ってたから、すごく喜んでたわ」

(な…に、それ……)

 血の気が引いているのが、自分でもわかった。膝の上の拳をギュッと握りしめ、手の平に爪を立てる。眩暈しそうな意識の中で、ドクドクと激しく打つ心音だけが、やけに耳に響いていた。

テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

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