2008.02/08(Fri)
君に初恋、桜色。6−6
chapter6−6
だが久美子は一度タバコの煙をふーと吐き出すと、止まることなく話を続ける。
「私もすごく嬉しかったわ。だから私も会社に移動願い出して、2人で東京に行こうと思ってたの。幸いその我が儘を会社が通してくれてね、年が明けたら行く予定だったんだけど……そしたら、剣二が急にジュリズを辞めるって言い出した。私すっごく頭にきて、ふざけるんじゃないわよ!って、もう大ゲンカしたわ。
理由を聞いても友達と店やることになったとしか言わないし、相手が誰か聞いても名前も言わない。だったらその人、私に一言挨拶があってもいいんじゃないの!って怒鳴っても、あいつ絶対相手の名前を出さなかった。私がキレまくってたから、怒鳴り込みに行くとでも思ったんでしょうね」
ふふ、と久美子の笑い声がした。秋家は顔を上げることができず、ただ俯いて彼女の話を聞く。何か言うべきなのかもしれないけれど、麻痺したような頭では、何も考えられなかった。
「それから毎日ケンカしたわ。理不尽なのは剣二の方で、あいつもそれわかってるから、黙って私の文句聞いて、ごめんとしか言わないのよ。でもそれがまたムカついてね…結局何を言っても考え直さないって言うもんだから、勝手にしろって言って私だけ東京に行ったの。それからずっと別居しててね……たまにごめんていうメールが着たけど、帰ってきてほしいとは一度も言わなかったわね。
私は別に、剣二がジュリズを辞めて友達とお店するなら、それはそれでいいと思ったのよ。それでも一緒にいてくれって言われたら、そうするつもりだった。でも、あのバカ、謝りはしても、そういうことを一度も言ってくれなかったの。それが1番頭にきたのよ」
悲しそうな声で久美子は語った。そしてしばらく黙った後、さっきより少しだけ声のトーンを柔らかくして秋家の名を呼ぶ。
「ねぇ、秋家さん」
ビクッとして、俯けていた色の無い顔を上げると、久美子は少し、憐れむような表情を見せた。だがすぐにきりっと美しく顔を引き締め、とても、間違ってないことを言ってくれた。
「あなたから電話があった後、剣二のお母さんにあなたのこと聞いたの。あなたと剣二、高校まで一緒だった親友なんでしょ?なのにどうして剣二から一度もあなたのこと聞いたことなかったのか、不思議に思ったわ。そんなあなたから電話があって、そしたら剣二がジュリズを辞めるって言い出した。当然思うわよね、電話してきた秋家って人が原因なんだって。
でも剣二はあなたに誘われたことを私に隠して、あなたにも自分が出世の真っ只中にいて、それを捨てることを黙ってた。言えばあなたが気にすると思ったのね、きっと。それで剣二がずっとあなたに隠してた事実を、今私が話してる。ひどい人間だって思うでしょうけど……でもね、あなただけ何も知らないでいるのは、ずるいと思わない?」
久美子は、真剣な顔で言った。
彼女の言っていることは、正論だと思う。石富夫婦が大ゲンカする原因を作っておきながら、自分だけが何も知らないでいるのは、確かにずるい。たとえ、石富が言わないでいてくれたことだとしても、それに甘えて自分だけ守られているのは、久美子にとってみれば単なる卑怯者でしかないだろう。
「でもね、これは意地悪だけで言ってるんじゃないの。そりゃあなたのこと恨みはしたけど、結局決めたのは剣二だし、あなたに本当のことを言わなかったのも剣二なんだから。それに、あの当時はすごくつらかったけど、もう過去の事と思ってるしね。
だったら今更こんな話するのは、嫌がらせって思われてもしょうがないけど……。でもホントに、剣二が順調だった仕事を捨てて、あなたとの小さなお店の経営を選んだってこと、あなたに知っておいてほしかったって気持ちもあるのよ。出世より妻より、剣二はあなたを選んだ。言葉はおかしいかもしれないけど、それがあいつの選択した人生ってことね」
そう言って、久美子は微笑んだ。
(剣二の、選択した人生……?)
それが、秋家と一緒にお店をすることだというのか。
どうして、なぜ。そこまでする理由は、なんだというのだ。
順風満帆な人生だったはずなのに、秋家が喫茶店をすることになったと話したら、彼は自分から一緒にやろうと言ってくれた。
秋家にとってあの店は、西澤と次郎の想いがたくさんつまっている大切な場所だが、石富には単なる小さな喫茶店でしかない。全てを捨ててしまうほどの価値など、少しもありはしないのに。
(どうして……?)
そしてこんな自分は、そこまでしてもらう価値ある人間ではないというのに。
ふと久美子を見ると、秋家に話してすっきりしたのか、話す前より表情が含みのない自然なものになっていた。秋家は離婚の原因なのだから、もっと責められてもいいはずなのに、こんな程度で済まされてしまうと、申し訳なさに胸が痛む。
「……ごめんなさい、俺……」
「だから、謝る必要はないの。剣二とはもう仲直りして、今はこうやって普通に遊び来てるくらいなんだから」
その言葉に、少しどきりとした。久美子の言う『仲直り』は、どういう意味のものなんだろう。年月が経ち、単にわだかまりがなくなったということか、それとも、夫婦として、ということか。
「それにしてもあいつ遅いわね。どこまで買いに出てんのかしら」
久美子はハンドバッグから携帯を取り出し、数回ボタンを押してそれを耳に当てた。
「……あ、剣二?あんた何してんのよ。私今あんたんちいるんだけど………は?話があるからよ。早く帰ってきなさい」
そう言って久美子は電話を切り、しょうがないやつよね、と言って笑顔を見せた。
そうですね、と返しながら、電話越しに石富と会話した久美子に、胸がチクッとした。
(すごく、仲いいんだ……)
結婚していたのだから、当たり前だろうけど。
帰ってきなさい、という久美子の強い口調からは、いかにも妻だったといえる関係の深さが伝わってきて、すごく、羨ましく思った。
【More・・・】
真っ青な顔で、秋家は俯いたままだった。だが久美子は一度タバコの煙をふーと吐き出すと、止まることなく話を続ける。
「私もすごく嬉しかったわ。だから私も会社に移動願い出して、2人で東京に行こうと思ってたの。幸いその我が儘を会社が通してくれてね、年が明けたら行く予定だったんだけど……そしたら、剣二が急にジュリズを辞めるって言い出した。私すっごく頭にきて、ふざけるんじゃないわよ!って、もう大ゲンカしたわ。
理由を聞いても友達と店やることになったとしか言わないし、相手が誰か聞いても名前も言わない。だったらその人、私に一言挨拶があってもいいんじゃないの!って怒鳴っても、あいつ絶対相手の名前を出さなかった。私がキレまくってたから、怒鳴り込みに行くとでも思ったんでしょうね」
ふふ、と久美子の笑い声がした。秋家は顔を上げることができず、ただ俯いて彼女の話を聞く。何か言うべきなのかもしれないけれど、麻痺したような頭では、何も考えられなかった。
「それから毎日ケンカしたわ。理不尽なのは剣二の方で、あいつもそれわかってるから、黙って私の文句聞いて、ごめんとしか言わないのよ。でもそれがまたムカついてね…結局何を言っても考え直さないって言うもんだから、勝手にしろって言って私だけ東京に行ったの。それからずっと別居しててね……たまにごめんていうメールが着たけど、帰ってきてほしいとは一度も言わなかったわね。
私は別に、剣二がジュリズを辞めて友達とお店するなら、それはそれでいいと思ったのよ。それでも一緒にいてくれって言われたら、そうするつもりだった。でも、あのバカ、謝りはしても、そういうことを一度も言ってくれなかったの。それが1番頭にきたのよ」
悲しそうな声で久美子は語った。そしてしばらく黙った後、さっきより少しだけ声のトーンを柔らかくして秋家の名を呼ぶ。
「ねぇ、秋家さん」
ビクッとして、俯けていた色の無い顔を上げると、久美子は少し、憐れむような表情を見せた。だがすぐにきりっと美しく顔を引き締め、とても、間違ってないことを言ってくれた。
「あなたから電話があった後、剣二のお母さんにあなたのこと聞いたの。あなたと剣二、高校まで一緒だった親友なんでしょ?なのにどうして剣二から一度もあなたのこと聞いたことなかったのか、不思議に思ったわ。そんなあなたから電話があって、そしたら剣二がジュリズを辞めるって言い出した。当然思うわよね、電話してきた秋家って人が原因なんだって。
でも剣二はあなたに誘われたことを私に隠して、あなたにも自分が出世の真っ只中にいて、それを捨てることを黙ってた。言えばあなたが気にすると思ったのね、きっと。それで剣二がずっとあなたに隠してた事実を、今私が話してる。ひどい人間だって思うでしょうけど……でもね、あなただけ何も知らないでいるのは、ずるいと思わない?」
久美子は、真剣な顔で言った。
彼女の言っていることは、正論だと思う。石富夫婦が大ゲンカする原因を作っておきながら、自分だけが何も知らないでいるのは、確かにずるい。たとえ、石富が言わないでいてくれたことだとしても、それに甘えて自分だけ守られているのは、久美子にとってみれば単なる卑怯者でしかないだろう。
「でもね、これは意地悪だけで言ってるんじゃないの。そりゃあなたのこと恨みはしたけど、結局決めたのは剣二だし、あなたに本当のことを言わなかったのも剣二なんだから。それに、あの当時はすごくつらかったけど、もう過去の事と思ってるしね。
だったら今更こんな話するのは、嫌がらせって思われてもしょうがないけど……。でもホントに、剣二が順調だった仕事を捨てて、あなたとの小さなお店の経営を選んだってこと、あなたに知っておいてほしかったって気持ちもあるのよ。出世より妻より、剣二はあなたを選んだ。言葉はおかしいかもしれないけど、それがあいつの選択した人生ってことね」
そう言って、久美子は微笑んだ。
(剣二の、選択した人生……?)
それが、秋家と一緒にお店をすることだというのか。
どうして、なぜ。そこまでする理由は、なんだというのだ。
順風満帆な人生だったはずなのに、秋家が喫茶店をすることになったと話したら、彼は自分から一緒にやろうと言ってくれた。
秋家にとってあの店は、西澤と次郎の想いがたくさんつまっている大切な場所だが、石富には単なる小さな喫茶店でしかない。全てを捨ててしまうほどの価値など、少しもありはしないのに。
(どうして……?)
そしてこんな自分は、そこまでしてもらう価値ある人間ではないというのに。
ふと久美子を見ると、秋家に話してすっきりしたのか、話す前より表情が含みのない自然なものになっていた。秋家は離婚の原因なのだから、もっと責められてもいいはずなのに、こんな程度で済まされてしまうと、申し訳なさに胸が痛む。
「……ごめんなさい、俺……」
「だから、謝る必要はないの。剣二とはもう仲直りして、今はこうやって普通に遊び来てるくらいなんだから」
その言葉に、少しどきりとした。久美子の言う『仲直り』は、どういう意味のものなんだろう。年月が経ち、単にわだかまりがなくなったということか、それとも、夫婦として、ということか。
「それにしてもあいつ遅いわね。どこまで買いに出てんのかしら」
久美子はハンドバッグから携帯を取り出し、数回ボタンを押してそれを耳に当てた。
「……あ、剣二?あんた何してんのよ。私今あんたんちいるんだけど………は?話があるからよ。早く帰ってきなさい」
そう言って久美子は電話を切り、しょうがないやつよね、と言って笑顔を見せた。
そうですね、と返しながら、電話越しに石富と会話した久美子に、胸がチクッとした。
(すごく、仲いいんだ……)
結婚していたのだから、当たり前だろうけど。
帰ってきなさい、という久美子の強い口調からは、いかにも妻だったといえる関係の深さが伝わってきて、すごく、羨ましく思った。
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